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「ポエムは誰も読みたくないから書くな」という意見に関して

某SNSで見かけた、見知らぬ人の「ポエム書いたっていいじゃない」という主張を読んで、昨今の風潮に対する向き合い方を自分の中で整理できた。

この文章は、備忘のためのメモとして書いた。

そもそも「ポエム」とは

このnoteにおいては、プロの詩人が書いた「詩」を指すのではなく、文章を生業としない一般人が自身の思いを表現した文章と捉えている。

なぜポエムが否定されがちなのか

ビジネスの成功や、ビジネス的に価値を持つことが正義とされ、礼賛される風潮が加速しているように思う。その流れの中で、例えばインフルエンサーのように、セルフマーケティングが得意な人は持て囃される傾向もあるように感じる。それはそれでまったく否定されるべきことではない。

ただ、「文章は多くの人に対して役に立ってなんぼ」という実用主義が、個人の趣味やプライベートの領域にまで、侵食しはじめたことが、「ポエムを書くな」論を生んでいる気がする。

文章のジャンルに貴賤はない

結論、ポエムはポエムとして特徴を持った一つのジャンルに過ぎず、
「文章のジャンルそれ自体に貴賤はない」のであり、ただ「伝わる文章と伝わらない文章」が存在するだけということだ。

他者の役に立つ、他者が求める実用性に忠実に応えることを第一目的とした文章、自身の思いを思いのままに表現することが第一目的の文章、両方あっていい。

文章力はたしかに大事。どちらの目的であろうと、「伝わる文章」と「伝わらない文章」は確かに存在する。読み手の立場を想像し、シンプルに分かりやすく書くスキルというのはあった方がよい。しかし、スキルがあれば伝わるか、というとそうでもないのが文章の奥の深いところ。

ポエムならではの価値

一方で、そういったスキルとは別次元に、自分の原体験に基づく価値観や人生観をそのままぶつけたような、体重の乗った文章にしかない魂を揺さぶる力もある。
一般ウケを狙い過ぎた結果、読みやすいけれど、本人のコアな願いや思いが一切感じられないペラペラの文章に成り下がることもある。

反対に、多くの人の共感や支持をたとえ得なかったとしても、自身の人生観や価値観の深い理解とともに、書いた本人の人生を支えてくれる渾身のポエムは筆舌に尽くしがたい価値を持つと思う。
そういう文章が書けたときの感動体験自体も、「自己満足」という言葉以上の人生のよろこびになる。
もちろん、魂を込めたポエムに多くの共感が得られることもあるし、それはそれでポエムの力であり、醍醐味だ。

自分は決して文章力が高いわけではないけれど、たくさんの良い文章に触れ、たくさん心を動かしながら、拙くても自分の思いを表現しつづけることで、伝える力や伝えたい思いに気づく力を育んでいきたい。

まとめ

・ポエムは文章の一つのジャンルでありそこに貴賤はない
・他者に対して役に立つか否かの価値もあるが、それがすべてではない
・いまの自分の表現力で、精一杯、書きたいことを書けばいい


おわり

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