「真のやさしさ」を発揮したい。社会が要求する「やさしさ」にプラスで(素敵なリーダーになりたい編_v4-6)
世の中、「やさしく」なっていますね。とても良いことです。一定の年齢に到達していて、今と過去を比較できる場合は、わかるかなと思います。会社関係に限定して、コンプラ、パワハラ・セクハラ、休暇や健康診断、出社時間、在宅勤務もそう。法律や制度の後押しもあり。出勤服装もかなりカジュアルに。上下関係も、言葉使いも、飲み会参加も酒も強制しない。環境問題やスポーツ界のやさしさも複雑に絡んで相互に影響して。「環境に”やさしく”」というキーワードが社会生活・ビジネスにも多大に波及。野球の投球制限だって。
ちょっとした小話。健康診断した仲間が結果報告書を見せてきた。「ボクさん、見て下さい、これ!」って。「やせすぎです。もう少し体重があった方が良いでしょう。」とのコメントが記載。そしてあるべき標準体重として彼女の今より10kg重い数字がかかれている。「いや、10kg増えたら、結構、つらいよー!。バランスも動きも変わりそう!」とのこと。確かに、ボクから見ても、今で普通のように思うのだけど(あ、セクハラ?)。身体に対する社会的要求もやさしいですね。
いずれにせよ、良いことです。より良い社会に。住みやすい社会になっていく。落ち着いて、自分らしく、マイペースで生きて行ける可能性が高まっている。
思い出すけど、ボクは新入社員からの数年は本当疲れました。急性胃腸炎になるし、なぐられるし(ま、ボクが悪いのだけど)、重い皮の鞄持って、スーツ・ネクタイで満員電車で、帰りは週半分ぐらいは翌日になるからタクシー。土日も数回は普通に出社。残業も毎月100-150時間。夏休みも数日。あ、過労で亡くなる方も時に。ただ、「待ち」の何もしていない時間も多々ありましたし、いい先輩方でみんながんばっていたし、新卒からそうだからそれが当たり前と認識できたのは良かったかもですが。もうごめんです。
でも、一方で、そんな「やさしい」社会なのに、未来を信じて安心でき、今を不安無く生き抜くことは厳しくなっていると感じます。未来なんていつの時代も不安だよ、との正論もありましょうが。。。
・日本は人口が減っていきます。世界的にも環境問題を抱えて人口増は暗黙の抵抗が。自然の経済成長は難しい。
・それに、AIの進化は加速。ヒトは不要になっています。職が減る。
・同じくデジタル技術進歩でどこでも仕事ができる。だからフリーランスも増えています。それでも生活できる環境が整備され、良いと思います。が、安いサービス・無料サービスも多く、稼ぎが安くすみます。それ自体は払う側は良いことですが、逆もしかりで、付加価値が小さくなりがちです。
・SNSの発展で、素人と玄人、専門と一般の差が曖昧。自分の日々の仕事の付加価値がどんどん下がっていく。
・そして、趣味嗜好・楽しみの幅が無限に膨らんでいる。マジョリティが存在しない。池の魚(人口)は減っている中で、さらに個々の魚のエサの趣味が違い過ぎて、何で釣れば良いかわからず、釣れても一過性。継続的大量は難しい。
結果、一部の勝ち組を除くと厳しい社会。M字と言われて久しいのですが、中産階級をつくり出して来た日本の戦後はもうだいぶ前に終りで、30年間不況というのか、経済成長が無い時代。今後も大きくならないパイの食い合い、ゼロサムの復活。なので、M字から「へ」型・「直角三角形」型へ。
そんな社会で、今はフリーランスでも生きられるけど、給料は増えるのか。子供達をより良く育てられるか、子供をもうひとり授かりたいけど。。。なんて悩みが「やさしい」社会になっている一方で蔓延。そんな風に見える。失敗を恐れず個性を活かして挑戦すればいいんだ、って言葉は見聞きするけど、一般論的には、やはり大企業に就職することが人生を安定させ、充実させる大前提のように思われる。。。
「やさしい」社会になっているけど、人口増えず、自然に経済成長しないパイの食い合いで、付加価値も付けにくい、そんな「厳しい」社会。
こんな中、会社・組織を率いるリーダーは、社会からの要請にもとづく「やさしさ」には逆行できるわけはない。「やさしく」なければならない。
で、それは問題ないだろうが、問題は、「厳しい」社会で会社を継続させ、発展させ、社員・仲間の給料を増やしながら、人格的・知性的に成長させなければならない、ことへの対応だ。それには何が必要か。
必要なのは「真のやさしさ」だと思う。曖昧な、ケースバイケースの、うそぶくやさしさではなくて、心の強さをベースにした「真のやさしさ」。
これら社会要求も受けた会社の各種制度やコンプラ、パワハラ・セクハラはダメよ、などの事業の”周辺”としての「やさしさ」は、実行しやすい。”周辺”という言葉は不適切かもしれないが、ボクの言う「素敵なリーダー」のもとでは、当然ながら、そんなことを制度にしなくても、注意喚起しなくても、職場は適切な環境・良質な人間関係になるから、ビジネスの本質ではない、という意味。
一方で、このビジネスの本質、日々現場でビジネスしながら、利益が対立する社員同士や社員とお客様、今と未来に対するリーダーの選択・決断・判断・二者択一・二律背反(リーダーシップ)では「やさしさ」が抜けがち。
というのも、ビジネスの本質である選択・決断することに「やさしさ」が必要と思われていないからかなと思うし、やさしくあるには心の強さが必要だけど、その心の強さがないから、だと思う。。。
・利他的に社会に価値を提供するには(会社が成長するには)どっち?
・この社員、チームの人格的・知性的成長にはどっち?
・この社員、チームの失敗に対し、どういう選択をとるか?
・この事業、このアクションは、ビジョンの実現に近づく絶好の機会だと思うが、多大な苦労が今の仲間に。どう導くか?
・このお客様からの要求は、お客様だけど飲むべき? 社員に苦労させてもやるべき? 苦労は価値ある苦労か? お金ではなく、社員にとって価値あるか? でも、お客様も無視できない。どうする?
・株主からの要求。株主とは言え、この要求はこの株主の利己的と判断できる。ならば、どう説明してはね除けるか。その利己的判断は、自分の利己を隠しているだけではないのか? などなど、とかとか。。。
「素敵なリーダー」: こんな日々の決断に「やさしさ」が必要だ、と思う。リーダーがやさしさをどう提供するのか。素敵なリーダーの必須のリーダーシップだと思うのだ。誰にとっての「やさしさ」を今は選択するのか。その時、選択せずに犠牲になる対象にはどんな「やさしさ」を提供すべきなのか。犠牲にならないような状況・条件を作り出せる「やさしさ」を発揮できるのか。概念的で、わかるようでわからないけど、ビジネスの二律背反の選択で「やさしさ」を、「真のやさしさ」を発揮して欲しいのです。それが「やさしく強いリーダー」、「素敵なリーダー」かなと。
こんな素敵なリーダーになりたいですね。