20世紀初頭の軍を強くするための民主的という思想。現代の会社も同じ?(ベターアイデア? v3-61)
ちょっとドキッとするような文章に出会った。当たり前なのか、ボクが未熟な甘ちゃんなだけか。
20世紀初頭の1917年8月、バーバード大学の総長を務めたチャールズ・W・エリオットなる人物がニューヨークタイムズ紙に寄稿した文、とのこと:
「民主的な軍隊は、貴族政治によって組織されて独裁的に支配されている軍隊よりもよく戦う」し、「大衆が法律を決め、公僕を選出し、平和と戦争の問題を処理する国の軍隊のほうが、生得の権利と全能の神の委任によって支配する専制君主の軍隊よりもよく戦う。」
「同様の原理によって、第一次世界大戦後には女性に参政権を与えることが支持された。産業化戦争の総力戦では女性が不可欠な役割を果たすことに気づいた各国は、平時に女性達に政治的権利を与える必要性を見て取った。だからウッドロー・ウィルソン大統領は~女性参政権の支持者とな(った)。」
「国民に政治的権利を与えるのは良い、なぜなら、民主的な国の兵士や労働者は独裁国家の兵士や労働よりも働きが優れる~。人々に政治的権利を与えれば、動機付けや自発性が高まり、それが戦場と工場の両方で役に立つ。」
(以上すべて「ホモ・デウス(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社)」)
20世紀は半分ぐらいまでは(その後もか。。。)、人類の歴史は、国と国の、覇権争いの、戦争の歴史ですかね。。。だから、いかにして国民に自らの意思で参加して戦って貰うかが重要課題だった、のだから、それに寄与することはやろう、というのが政治だったでしょう。民主的が望ましいのは、そのお陰で、軍隊が維持でき、拡大でき、自発性があり、且つ統率しやすく、戦いに勝ちやすいからだ、という思想ですね。ま、当時としてはわからんでもないような。
で、ドキッとしたのは、現代の会社も同じか?とふと思ったのだ。
「社員が会社の名前を使って、リソースを使って、自らやりたいことをやってもらいたい。あるいは、社員の夢やビジョンも会社のビジョンと合わせて達成させたい。あるいは、目標設定などの人事考課や人事施策も、社員の自発性が尊重され、自ら考え・動く方向にドライブすべき。」なーんて、社員のため的な思想をうたっているけど、これって上記を発言しているチャールズ・W・エリオットやウッドロー・ウィルソンの思いと結局は同じ、なのか?
会社は、最終的には、会社の利益率や利益額が増えて、会社に入るお金が増えることを、永続していくことを、目指しているのだから、それに寄与することはやろう、となる。だから、いかに、「上手く」「巧みに」、社員が強制されている感情を思わないで、自発的に動くように促され、より効果・効率的にそれに寄与するようにしている、ということ?
民主的 ⇒ 自発的な強いよく戦う軍隊 ⇒ 国が戦争・覇権に勝つ
社員思い ⇒ 自発的で自走する強い会社 ⇒ 会社が稼げ・拡大できる
目的のための民主的でも、見せかけの民主的でも、民主的ならいいのと同じで、社員想いで自主性を重んじるのは、稼ぎにつながるからだけかもしれないけど、それでも強制・主従関係・奴隷関係よりは全然良いならそれはそれで良いのか。。。
自問自答。うーん、自分の会社は過去や今もそうじゃないと思いたいけど、本当にそうじゃないのだろうか。。。そういう会社もあろう。そういうリーダーもあろう。でも、ボクは違う、と思いたいが、どうなんだろうか。
今まではどうだったかはわからない。そうではなかったと思いたいが、常にそうではなかったのか。。。でも、これらの文章を読んで、ちょっと不快な気持ちになった自分にほっとした。今後は、未来は、将来は、そうではなくしたい。会社は何が必要なのか、会社とは存続が命なのか、継続すればなんでもいいのか、TOPやオーナーや株主にだけお金がたくさん転がり込めば良いのか、考えながら進みたい。
考えているだけで、行動が伴わないとだめだけど。とにかく、内省できる言葉に出会えて考える良い日曜日でした。。。
今日のベターアイデア:
20世紀初頭あたりは、民主的であろうとしたのは、戦争で勝ちやすくなるから、との話。なるほどと思う。同時に、あれ、現代の会社も同じ?社員の自発性を重んじたり、社員の夢の実現の場でもある、なんてのは、回り回って結局は、会社として稼ぎを増やしたいだけ? それでも、主従・命令・奴隷関係よりは良いけど、でも、なんか不快に思った。そうだけど、そうじゃなくしたい。何をどうすればよいか答えが無いが、「そうじゃない。なぜなら・・・」を言える会社づくりをしたいと思った。いい考えだ。答えはこれから試行錯誤だけど。