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ハーフの友達から学ぶ地球規模の思考。純ジャパでも心はハーフになろう!

オリンピックが続いています。パリで開催ですね。

フランス人と日本人のハーフの、フランス在住の友達が日本に来ていた。今日、帰国。で、昨晩は最後のご飯を一緒した。こんな話をしてくれた。

ご飯したときの前日に、柔道の団体戦、フランス対日本の金メダルをかけた試合を、1人ホテルで見ていて、盛り上がった。

「あれは、ズルいよな。なんか「道」に反しているよね。日本が銀で残念でした」とのこと。

ハーフで、フランスに住んでいるわりに、日本びいきなのですね。って、会話しているボクが日本人だから、こっち派になってくれたのかな。

「ハーフはね、いろいろ大変なのよ」とのこと。「自分って、なんだかわからなくなるの」。

でもね、「両方を好きになれる、両方を応援することもできるのね」とのこと。

「ゴルフの松山選手の銅メダル、よかった! 上手くいけば金でしたよね」なんてLINEがフランス帰国後に来た。「よかったですね!」ではなくて「よかった!」というメッセージ。日本人のボクの気持ちを察しての「よかったですね!」ではなくて、自分として「よかった」という表明。


本人としては、小さい頃は自分は何人なのか、なんてアイデンティティの問題があったり、それぞれの地で外国のひと、なんて思われたり、外見と言語のギャップやら、ある意味、両方の”国”からいじめられていると思うかもしれない。色々苦労があると思うのです。でも、心の底では、やっぱり両方の国が好き、という気持ちがあるんだろうな、と思うのです。

これって、地球を大切にする、基本だと思うのです。国家間のくだらない政治的な私利私欲を得るための争いごとは、自分本位、自分の国本意、自分の思想が正しい、自分の国の慣習が正しい、に心が無意識に染まっていると思うのですが、ハーフだったりクオーターだったりだと、「ひとつ」だけに固執しないと思うのです。

「ひとつ」に固執しない。とっても大切なことだと思うのです。広いようで狭い地球の上に皆で住んでいるのですから。人類がアフリカで誕生してから、偶然に偶然が重なって世界のさまざまな地に散った。その結果、今の場所にいる、だけ、です。たんなる偶然。日本人にたまたま生まれだけ。なぜに日本、日本人、日本の利益だけに固執する必要があるのでしょうか。


ハーフやらクオーターやらのマインド、「ひとつ」に固執しないマインド、に立脚したら、自分が常に正しいなんてことはない、色んな考え方がある、と当然に思える。その一方で、他者が、個々がそれぞれの考え方に固執するのも理解、許容できる。その人の問題ではなくて、そこで育ったがためにそうなる、しょうがない、と。そして、それを前提に、より良い世界を目指せる。


大谷選手がアメリカで活躍できて、日本人として誇らしい、嬉しい、と思うのではなくて、日本人の大谷選手をアメリカの人達が応援してくれている、ということを嬉しいと思うべきで、フランスと対戦する日本人のオリンピアンをも応援してくれる、賞賛してくれる、フランスの方々を素晴らしいと思うべきで、日本フェンシングの躍進はフランス人コーチのお陰ということに感謝すべきであり、日本に旅行で来てくれる、住んでくれる、スポーツやら芸術などなどで活躍してくれる海外からの方に感謝すべき、だと思うのです。日本の文化が素晴らしいからさ、なんて自惚れずに。


日本人だから、日本を好きであるのは当然だけど、同時に他国も、世界も、地球も、好きであるべき、かなと思うのです。

複雑な世界の関係性で、日本のためだけを考えて思考・行動することをまるでスゴいことかのように思い、キッタハッタを巧みにコントロールしていて、政治的駆け引きに揉まれながら、日本の利益を得ている、なんてことは大いなる勘違いのように感じます。ナイーブですかしらね。。。

まだまだ多くの人がハーフでは無いと思うのですが、ハーフではなくても、ハーフのように母国とは別に少なくとも大好きな国をもう一つ、持つといいかな、と思うのです。そんな人達がたくさん集まって、からまることで、自国主義の小さな利益を目指す、小さな人間集団にならず、地球規模で思考・行動できるのかな、と思うのです。

ということで、心はハーフになりましょう! 

読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_99)



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