著名な社長が言う、経営・リーダーに必須な「ANDの才能」について
友達とのランチで「ANDの考え方/才能」の話になる。経営セミナーを受けた時に聞いたと紹介してくれた。「矛盾に勝機を見い出し、ANDの考え方で、事業を成功させる」とのこと。
皆さまご存知のアパレル製造小売の社長さんの話。確かにこの考え方は有名であちこちで読む。「ビジョナリーカンパニー」という卓越した業績を実現するリーダー/企業の特性を研究した本に「ORの抑圧」・「ANDの才能」という言葉が登場する。この本(1995年)がベストセラーになってこの「ANDの考え方/ANDの才能」が使われるようになった(と思われる)。「二刀流」と同じですね。
他にもビジネス的には、短期的/長期的。利益/投資。選択と集中/分散。スピード/正確性。コスト/品質。国内/海外。論理/感情・・・
もっと視野を広げると、勉強/遊び。会社/家庭(ワークライフバランス)。利己/利他。結婚/独身。あの彼/この彼。自分/子供。今/未来。貯金/株・・・
「ANDの考え方/才能」とはこんな二律背反を諦めずに同時追求し実現させる、ということ。カッコいい。イーロン・マスク氏の言葉も追加すると:
が、一方で「二兎追うものは一兎をも得ず」・「虻蜂取らず」・「選択と集中」も真理。時間もお金も能力も、限られている。両方が無駄に終わる可能性も大いにある。二兎を追っていいことなんてあるのだろうか。。。
ということで、この対決:「ANDの才能・二刀流・一挙両得」vs 「選択と集中・虻蜂取らず・二兎追うものは一兎をも得ず」は、結局、何事もそうで、元も子もないのだけど「ケースバイケース」なのだ。経営者の場合、社員に向けたメッセージとして、今は、「ANDの才能」を推すべきなのか、いやいや「集中しよう!」と推すべきなのか、これを見極めることが腕の見せ所なのだ。
ただ、会社では多くの場合、「今のままではダメ。コストと品質を両立させようよ」みたいな「ANDの才能」を発揮して欲しい!という方のメッセージばかりになるのだ。なぜなら、社員というものはリスクをヘッジし、無難でありたく、”確実に出来るであろうこと”をしたい、から。二律背反は自発的には目指さないのだ。
小さい頃から国語と算数と英語と社会とたくさんの科目を勉強してきたのに、なぜか会社に入ると「OR思考」・「諦め思考」に陥る。「夢」とか「ビジョン」とか、そりゃ1つよね、と言われるし、「選択と集中」・「リソースは有限」などと教えられるし、そして何と言っても失敗すると批判され、将来に影響する。だから、二律背反を「ANDの才能」を発揮しようと四苦八苦して、わざわざ目指すリスクは避けたくなるのだ。
ただし、社員をこんな「諦め思考」にさせているのは全てリーダーの責任。社風や評価制度など組織側の問題だ。
なので、「ANDの才能」が、経営がわざわざ口酸っぱく言わなくても普段から組織として発揮できている会社は、そりゃ強いのだ。ビジョナリーカンパニー(=時代を超える生存の原則を持つ会社)になるのだ。
一方で、経営者が口酸っぱく「ANDの才能」を社員に伝えているならば、実は、社員が二律背反の両立を目指すしたくない組織的原因がある、のだ。社員の思考・行動はリーダーシップの結果であり、組織の社風・制度の結果。リーダーが現場を見えていない、自社の制度を見えていない、自分のリーダーシップがわかっていない、となる。口酸っぱく伝えるのみならず、このボトルネックの排除も”両立”させないと。
「ANDの才能」を日々社員に伝えると共に、社員がそれをできない原因を同時に探すことが、経営者・リーダーの「ANDの才能」なのだ。
読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_8)