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対自分も個人も群衆も。指示するもされるも。1人のチカラはあなどれない(ベターアイデア? v3-66)

「どんな人間も、個人として見ればまずまず分別があり、道理をわきまえているが、群衆の一員になったとたん、愚か者に変わってしまう」。フリードリヒ・フォン・シラーの言葉ですって。ゲーテとシラー、ドイツ古典主義の思想家です。今、読んでいる本にこの引用があり、検索すると多々、紹介するサイトが出てきました。有名な言い回しのようです。

「赤信号。みんなで渡れば怖くない。」「朱に交われば赤くなる。」ですね。ニュースで見ます、こんな現象。それぞれに理由はあるのでしょうが、「愚か」と定義できそうな「群衆」の行動。ただ、歴史的(過去)にも、現代でも、人間がいるかぎり続きますね。行動しないひとには行動する人達が「愚か」に思え、行動するひとには行動しない人達が「愚か」に見えますから。永遠です。

群衆が自分を動かす。結果、大きく間違った方向に。

これも怖いですが他にも:
「私が指示することで、多くの部下が動く。連想ゲームされながら、歪曲されながら。間違った巨大な何かが動き、間違った結果を招く」。間違った方向に企業が動くこと時にありますね。大前研一さんの今日のブログにも「能力最高・性格最悪」なんて表現がありましたが、そんなトップで、組織の命令系統が「機能」していると怖いものです。スポーツの試合でもたまに「事故」が起こります。コーチ・監督は絶対神話が原因ですかしら。

自分は指揮命令系統の一部だけど、鵜呑みでいいのか?疑問はないのか?右向けと言われたら向けばいいのか?自分が勇気を持って疑問を呈すると周囲も共感、同調するかもしれない。

一人の権威が群衆を動かす。結果、大きく間違った方向に。

これも怖いですが他にも:
「それは私の問題ではない。誰かの問題だ」的な、対岸の火事的な立場・考え。見て見ぬふり。他人事。他責。行動をしない。みなのひとつひとつの小さな行動が、大きな潮流になりえるが、それには関与しない。

一人が違う行動するとフリーライダー的に偶発的にもなり、他が損した気分になる。自分だけのつもりが、正しいうねりを止めてしまう。大きなマイナスを生み出してしまう。

自分だけは動かない。それだけのつもりが結果、大きく間違った方向に。

これも怖いですが他にも:
環境破壊に関する本を読んでいると、何気ない、悪気無い、小さな行動が取り返しのつかないことを引き起こした歴史的事例が紹介される。例えば、ヨーロッパからの移住者が、開拓者が、可愛がっていたうさぎを連れて来て放し飼いにしたら、たったそんなことのスタートが、草木を食べ尽くし、土壌が変化し、環境破壊につながる、みたいな。え、うさぎで?!

一人の自分の小さな小さな行動。それだけのつもりが大きく間違った方向に。

1人のチカラって何気に十分あるのでしょう。自分の考えは、誰にとって正しいのか?自分への指示は誰にとって正しいのか。どうするべきか、やるべきが、やらないべきか、異論すべきか、疑問を呈するべきか。彼らは自分ができるチカラだ。結果に対して逃れられない責任があるように思う。。。将来はわからないけど、今の自分の意見や上からの指示すらも理解できないなら、立ち止まることが良いような。

今日のベターアイデア:
自分が自分を動かすことも、誰かに無意識に動かされることも。自発的に動くことも、多数に押されてしょうがなく行動することも。あるいは、行動しないことも。自分が正しいと思うことも、反対だけどしょうがないことも。結果は誰かにとってプラスなのか、マイナスなのか。自分にとってプラスなのか、マイナスなのか。誰かは個人なのか多数なのか。。。わからない。。。大切なのは、立ち止まって考え、疑問に思うこと。鵜呑みにしない。自分は、一人一人は、結構チカラあるのよ、こう考えて。

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