職場で信頼できない人はいない。信頼関係が”未”構築なだけ。そう考えないと(素敵なリーダーになりたい編_v4-47)
「信頼できるやつ、周りにいないよな」。
「信頼できる部下を3人、見つけな。リーダーには3人の忠誠が必要だ」。
「お前のことは信頼していいよな? 信頼できるよな?」
「なんであんなやつを信じるんだ。ダメだろう、あいつ」
思い出すとこんなことをサラリーマンしていると言われたことがあるような・ないような。。。
今日は、ある会社でリストラした際に去って行った仲間(ゆうりさん)と仕事の打ち合わせ。今は、別の会社でご活躍。かと思ったけど、そこを辞めていた。2ヶ月前に会った際に、確かに、会社の営業方針にどうもなじめない、と悩んでいた。その会社は、医療現場で働いてきたゆうりさんを必要とする、医療現場にICTサービスを販売する会社。ゆうりさんの経験を参考にしたい、重宝したい、とのスタートだった、とのこと。だけど。。。
ゆうりさんいわく: 今は、医療現場を効率的にしない状態のサービスを無理に売ろうとしていて、なかなか売れないは、医療現場からは文句は言われるは、でも、売れと言われるは。。。それに、マネージャーとも議論の時間が充分とれず、リモートで指示がメールで来るだけ。返事に返事が無い。。。しかも、なんだか横文字たくさんつかってくるのだけど、意味がよく分らず。。。と悩んでいた。結局、辞めたとのこと。ま、欠席裁判ではありますけどね。
で、このゆうりさん、ボクとの関係は不思議なもの。前職で、リストラした時にリストラに乗った方なのですが(ボクはリストラする側)、ゆうりさんはスムーズに行ったのだが、別の辞めたく無い方が、ほぼ強制的に辞めさせられた!外堀埋められた!辞めたいなんて言っていないのに!などなどと憤慨していて、その原因を作った別の役員が対応をボクに振ってきて、ゆうりさんも一緒に仲間のために憤慨してくれていたので、その2人と話し合いをしたのだった。
で、結果的には、もめていた方もボクと話をして、ちょっとしたご希望の条件を会社に飲ませて、「穏便」に辞めていったのだが、その時に、ゆうりさんが、その過程を見ていてくれたし、議論する時間もあって、2人で色々人生の話をしていたら、なんだかボクより10歳ぐらい若いのに、とても尊敬できる方で、それからちょこちょこご飯したり、お話したり、別の仕事の相談を互いにしあったり、プライベートのイベントを一緒にしたり。なかなか行動力があり、勉強熱心で、苦難を楽しみに変えようといつも試みる方で、頼りになるのです。
つまり、辞めてしまって今は別々の会社になったけど、今でも「仕事」のつながりが持ち得る関係で、ボクにとっては信頼できる・相談できる方。リストラ騒動がきっかけだったけど、その後に信頼関係を作っていった、ということなのです。
なぜなら、
信頼したいひと、と思ったから。
信頼できるひと、と思ったからではなくて。
だから信頼関係を構築していった。
リーダーの立場から、部下や社員を見て、あいつは信頼できる、あいつはできない、っておかしいと思う。。。
信頼は構築していくもの、だから。すでに信頼関係を構築できているひと、構築がこれからのひと、というのがより正しい気がする。
自分の会社の部下・社員を、信頼できる/できない、と区別するのは、状況を所与として捉えているようで、まるで不変と捉えているかのようで、不思議に聞こえる。自分が、リーダーなんだから、信頼は構築していくもの。自分が偉くて、ほら、みんな私に忠誠を誓ってね、信頼できる証拠を示してね、なんてありがちだけど、これはおかしいかなと。
「信頼できるやつ、周りにいないよな」。
⇒ うん、あなた自身が信頼できないのかもよ。
「信頼できる部下を3人、見つけな。リーダーには3人の忠誠が必要だ」。
⇒ 信頼は多数と構築できるよ。構築するものだから。3人でも5人でも、10人でも。
「お前のことは信頼していいよな? 信頼できるよな?」
⇒ あなたと相互の信頼関係を構築したらね。あくまで双方向ですよね。
「なんであんなやつを信じるんだ。ダメだろう、あいつ」
⇒ いえ、ボクと”あんなやつ”は信頼関係を構築したのです。だから互いに信頼しているのです。ダメと思ったことはないかな。
って、答えたくなります。前者と後者、どちらが素敵なリーダーが発する言葉でしょうかしら。ま、もちろん、100人が100人と信頼関係を構築できるかはわかりません。結果は、時間をどれだけ我慢できるかに左右されます。職場では常に時間の制限があります。また、自分だけでどうしようもないこともあります。でも、所与と思うか、構築できると思うかは大いに違いますね。少なくともリーダーであれば、”構築”したい、ところです。
「素敵なリーダー」: 信頼できるやつ/できないやつ、賢いやつ/賢くないやつ、まじめなやつ/不真面目なやつ、やる気のあるやつ/ないやつ。〇〇なやつと、その反対の××なやつ。こんな「今」を区別するのが好きですね、会社の上のひと。サラリーマンだからしょうがないのでしょう。会社の制度もシステムも人材も能力も目標も全て「所与」と捉え、その中で自分が何ができるか、を考えているようです。社員の教育は人事部の仕事。自分の仕事ではない的なリーダーやマネージャー。でも、どうなのでしょう、ラベルを貼らずに、信頼できる仲間、賢い仲間、まじめな仲間、やる気のある仲間、に「する」のがリーダーの役割のように思います。結果は時間切れのときもありましょう。が、それを自分の仕事と思い行動するのは素敵なリーダーですね。
こんな素敵なリーダーになりたいですね。
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