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ヒトは「徐々に老化」。この進化に感謝し、健康と学びを一生継続(ベターアイデア? v3-14)

「ある日のこと、フォードは数人の従業員を廃車場に派遣し、廃車となったT型フォードの部品の状態を調べさせた。帰ってきた従業員たちはがっかりしたような表情で、ほぼ全部品がだめになっていたと報告した。ただキングピンだけは、ほとんど消耗していなかったという。従業員たちが驚いたことに、フォードは彼の丈夫なキングピンを誇りとするどころか、キングピンは上等すぎるようだから、将来的にはもっと安くつくるべきだと宣言した。フォードの結論は職人気質の誇りを汚すものだが、経済的には理にかなっている。たしかに、自動車本体よりも長もちするキングピンは金の無駄だったのだ。」

「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか(ジャレド・ダイアモンド著、長谷川寿一訳、草思社文庫)」からの抜粋です。今、たまたま読み終わった本にありました。

立場や職業、志や何を目指しているか、によって、意見は変わりますね。当然、変わります。答えはひとつではありません。フォードの言う通りと思うとしても、コスト安くして自社の利益を増やそうと思うのか、いやいや販売価格を下げて消費者が買いやすくしようと思うのか。いやいや他のパーツもキングピンのように長持ちするよう研究・開発、改良し、技術力を高めてみようと思うのか。ま、とにかく安い大衆車を作る目的でしたから、このような発言になるのですね。本当にこう言ったかどうかはわかりませんが、もっと気遣う言い方はありそうです。。。

で、この本のタイトルと、このフォードの話にミスマッチ・距離感がありますね。この話は、人類の進化の結果を説明するのに、わかりやすい比喩として紹介されていたものです。

で、この本が伝えたいことは以下でした。「ヒトの身体は全身の各部位がほぼ同時におしまいとなる。」「動物の身体にもあてはまる。野生動物は身体の衰えが深刻になると捕食者に食われたり、事故で死ぬ確率が増えるので、捕らえられた野生動物に老化のしるしはほとんど見られない。しかし動物園や実験室のゲージのなかでは、動物もわれわれとまったく同じように全身の老化が徐々に進む」「最も効率的につくられた身体とは、すべての器官がほぼ同時に使いものにならなくなる身体である。」

で、ふと、思ったのです。「徐々の老化」が嫌だなぁ、ずっと若い状態・万全の機能は続かないものか、と思っていたけど、いや違うと自分に反省し、「徐々の老化」に感謝しないといけないんだ、って

一瞬で、突然、さようなら、死んでしまう、という動物ではない、ということは、なんて嬉しいことか。ま、当たり前過ぎて、そんなこと考えもしなかったのだけど、魚や昆虫に見られるように、卵を生んだら死んでしまう、あるいは、交尾中に必ずメスに食べられてしまう共食い、ではない、という幸せ、ラッキーさ。

「徐々に」老化するその程度に個人差はあるけど、ヒトとして共通のこと。だから、取り返しのつかない事故・病気は別にして、明日も、たぶん明後日も、おそらく来年も生きている、と想定される。徐々に老化しながら、でもおそらく1週間後も生きている。例えば、50歳近傍になったら突然、身体不全・機能不全が明確に現れ、すぐにさようなら、とかではない。

徐々の老化を(時間の大切さを)自覚できず、茹でガエル思考になりがちな一方で、徐々だからこそ、老化を遅らせる、あるいは維持できる、あるいは多少は高められる、と思える。医学的・生活習慣的・健康的な対応に努力することができる。

そして、知性・知力も同じ。見た目や身体の健康のみならず、頭の知力も、遅らせるというのか、何歳になっても維持・高められる。

茹でガエルにならず、後者であろうと思う。徐々だからこそ、「今日はやめて・明日でいいか」ではなくて、徐々だからこそ、今日やる価値があるのだ。突然に、すぱっと、身体機能が不全に陥り、人生が終わるわけではない、のだから。

「徐々に老化する」ようにヒトが進化してきたことに感謝し、そして、現代は突然にさようならする要素もだいぶ減っている人類の英知・努力にも感謝。

learn as if you were to live forever ということですね。

今日のベターアイデア:
ヒトに生まれ、ヒトの「徐々に老化する」ことになった人類の進化にラッキーと思い、ならびに、突然人生を終わらせる要素(争い、疫病、飢餓、捕食とか)の排除に成功してきた(まだ残っているけど)人類の英知と努力に感謝し、「徐々に老化する」を食い止め、現状を維持し、あるいは高められるかもしれない、医学的・生活習慣的・健康的な活動と、知性を高める活動に努力したい。ベターアイデアに思いました。

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