職場のルール。人間の怠け癖を制御するため。その当たり前が経営を困難にする(素敵なリーダーになりたい編_v4-13)
本を読んでいた。やさしい慈悲深さが発揮されて、罪の無いひとを救うシーン。読み進める中で、たぶん救ってくれるんだろうな、そう想像する・期待する。そう思い出すと、結論のシーンが早く見たくて、読むスピードがどんどん速まる。そして、その場面がついに。罪の無いひとが救われた。とてもよかった。安心。そして嬉しくなる。ふぅー、よかった。そして気づくととても多数のページをすごいスピードで読んでいる。フロー状態。
好きなSNS動画や映画を何度も見ることがある。何度見ても、同じ結末を知っていても感動する。気持ちが良くなる。こんなこともある。
どうして?
どうして、慈悲深いシーンを期待してしまい、そうなると喜ぶのか。心が勝手に喜んでしまうのか。
それは簡単。人間だから。人間はこういうことで喜ぶように、安心するようにできている。そう進化してきたから。個人差はあるのでしょうが、人助け・利他的が心地良く感じるようにできている。生まれつきの、人間の特性。こう進化してきたのは確か。でも、どうしてかその理由ははわからない。ボクが知らないだけかもだけど。ダーウィンの言う親子の愛情の発展なのか、遺伝子の保存がそうさせるのか。。。
職場で、このような人間として心地良い様相(ルール、規範、社風、リーダーシップなど)を浸透させるならば、自然と仲間の間で自己増強していく。自己増強ループ。だって心地良いのだから。
逆に自然に広がらないのは「無理」がある、ということ。それを会社で浸透させようとして、なかなか浸透しないと悩むのは、しょうがない。だって人間に即していないのだから。それでも目指す価値がある場合は、浸透策をしつこく、しつこく、繰り返し、その価値をしつこく、しつこく伝えて、納得、習慣化させる必要がある。
ということで、やさしさ、慈悲、笑顔、手助け、共感などは自然に蔓延する。だから、そういう方向に社員をドライブするのは組織として良いことのように思っている。人間の「良さ」だし、みな自然にやりたくなるし、それで会社の方向とうまく一致させると、いわゆる強い会社になりえる。
一方で、人間は怠けるようにできている。これもそう進化したとボクは勝手に思っている。で、これがやっかい。だから、怠けないように導かないといけない。
仲間のために責任を果たす利他的なやさしく親切な人間の特性と、怠けたくなる人間の特性をうまく”活用”するのが、これこそがリーダーの仕事。
で、ここから本題。会社を経営する難しさは、色々あるけど、以下のような切り口でも表現できる。
会社といものは、ひとは怠けるものだ、そして、当然ながらそれは許されない、論外だ、と言うことから始まっている。だから、人間のナチュラルな特性である怠け癖を不必要なまでのくだらない?無駄な?性悪説に立つ規律などで制御しようとする。これを発端として、同じく人間がナチュラルに持つ特性であるやさしさが「ダメ」だと勘違いされる。ルールを超えてやさしさを発揮したら、ルール違反だから。ルール・規律があったら、やさしくなんてなれない。
だから、社員が皆、家を出ると、上述したような人間が自然に持つ自分らしさ・人間らしさのやさしさと怠け癖を一緒に捨て、違う自分になる。会社用の鎧をかぶって現れる。ま、最近はまだまだリモートだけど。だから、自分らしく無い自分には当然ストレスを感じるし、みんなが同じようにストレスを感じている。やさしくありたいのにダメ。怠けるな。つまりルールを守れ。厳しくあれ。これが相互にプレッシャーをかけあい、互いに傷つけあっている。
そんな中で、経営は、ビジョンを目指そうだの、世の中に役立とうなどと、挑戦しよう、努力しよう、などの美しい話をして、社員/仲間を動かそうとしている。これらが整合しない。こんな美しい話は会社では信じるのが難しい。だって、怠けるなルールがあり、やさしさは捨てろ、自分らしくあるな、人間らしくあるな、の暗黙の合意があり、みな、自分らしく無い自分でそこに存在しているのだから。人間らしいやさしさを突然、ビジョンとかいう名で言われても、頭に入らない。モード的にはルールを守れ!やることやれ!やさしさは捨てろ!の互いの監視状態なのだから。
しかし、美しい話も必要と経営は考えるし、創業の理由がビジョンの実現にあるのは確かだから、捨てられない。従い、これら両面のバランスを取る、というのが経営、となる(と思っている)。
つまり、こういうことだ。会社は社員に「怠けるな。ルールで縛る。人間らしさは捨てよ。でも、利他主義で社会に貢献しよう。人間らしくあろう」と主張している。支離滅裂?意味不明?妥協の産物?これで社員を動かそうとするのだから難しい。
で、思う。スタートが間違っているのだと。
スタートはこれだ:
やさしくあろう。利他的であろう。親切であろう。仲間を助けよう。助け合おう。目の前の対峙するお客様や仲間に良いことをしよう。
そして、次に:
怠けたい時があるなら、怠けよう。その時は仲間でカバーし合おう。だから他の仲間が怠けたい時はカバーしてあげよう/助けてあげよう。フリーライダーが発生するって批判もありそうだが、こんな助け合い環境になるとフリーライダーは発生しにくいものだ。仲間を信じよう。
つまり、人間の特性である、怠けたい、のと、やさしく他人を助けたいを両方させたらいい。自由に解き放てばよい。
経営は管理ではない。経営は解放だ。そう思う。
で、こんな状況の中で、その次に:
自社としてどのような価値を社会に提供したいのか、どんな会社になりたいのか、そんな美しいビジョンを乗っける。これだと抵抗感が少ない。だって、自分らしくして良いよという基盤の上に、その会社特有の社会に役立ちたい「社会的・利他的な価値(人間らしさ)の提供」を乗せるのだから。
ということで、こんなパラダイムシフトを実現するのが素敵なリーダーじゃないかしら。
「素敵なリーダー」:会社でも、自分らしく・人間らしく、素直でいる土壌を作る。つまり、やさしく、利他的で、仲間を自由に助けてよい。そう言ったって自分の役割をほったらかしにすることはない。それだって仲間のためなのだから。自分の役割はみんなのためだ。そして怠けたい時は怠けていい。互いにカバーしあえばいい。怠けたいのも人間らしさ。助けたいのも人間らしさ。これを前提に、会社としての独自の、社会にどのように役立ちたいのか、のビジョンを上乗せする。これでやっと、人間らしさ on 人間らしさで、自走しだす。
こんな素敵なリーダーになりたいですね。