地下室で指輪を失くした。のに、玄関の外の街灯の下を探す。なぜ?
ナスルディンという男が自宅前の土の上に這いつくばりキョロキョロ。友人が「何を探しているんだ」と尋ねた。「カギだよ」とナスルディンは答えた。そこで友人もカギ探しに協力。が、見つからない。友人は「どこらで失くしたか正確に言ってみて」と聞いた。するとナスルディンは答えた、「家の中だよ」と。「え? なんで外を探しているんだ?」「だって、家の中よりも、ここの方が明るくて探しやすいからだよ」
著名な経営学者であるヘンリ・ミンツバーグ(カナダのマギル大学の教授)の作品「H.ミンツバーグ経営論」・第2章「計画は左脳で、経営は右脳で」の最初の節がこの「ナスルディンのカギ」。同教授は言う、経営はロジックやサイエンスだけじゃない、アート・右脳の部分もある、論理的に導き出されること(=明るいところ)ばかりで経営したらダメよ、という。
当然です。人間は感情的。社員万人が同じに動くスイッチなんてものはそもそもないし、少なくともそれは論理ではありませんもの。
さて、ちょっとプロットが違うけどほぼ同じ寓話があります。こちらは「ナシュレディン・ホジャの法則」。
ある晩、ナシュレディン・ホジャが自宅の暗い地下室で結婚指輪を失くした。探すも見つからない。するとやがて表に出て、街灯の下を探し始めた。友人にどうしてそんな場所を探しているのかと尋ねられると、ホジャは答えた。「光が当たっている場所だからね」。
これはデイビッド・クリスチャン著の「未来とは何か」で紹介されている。(この本を最近読んで今回の投稿に)人間は未来・将来をどうしても予測したくなり予測するが、自分の知っている過去を参考にして未来・将来を決める。過去がこうだったから、将来もこうなるね、って。自分が知っている/経験している過去、つまり「明るい」部分のみを頼り、知らない未経験の部分、つまり「暗く」て見えない部分は無視し、将来を想像する。それが全くに見当違いであっても。未来の証拠は過去にしかないから。。。
この2つの話、メッセージは同じ。人は自分が見える所(過去の経験、知識、ロジカルに導き出されること、など)に束縛され、判断し、行動する。
気をつけたい。逃げずに暗い場所で探し物をする取組みに固執したい。そこを明るくする、明るくなる迄待つ。多様・多数な仲間に参戦してもらう、他の方法をアイデア出しする。あるいは、探さないという選択肢もありえる。新しいカギを造る、結婚指輪を諦める(もう離婚していたり?)など。
経営が、社員を総動員して、確実にそこにないけど、光があたっているからと、カギ(次の扉を開く重要なモノ)やら結婚指輪(とても価値あるモノ)を探していたら、そんなビジネスをしていたら、怖いものです。。。
読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_94)