俯瞰・鳥瞰・観るって本当大切。たまに世界地図を見よう(ベターアイデア? v3-51)
グーグル・マップで世界地図を眺めてみると、世界のつながりがわかる。当たり前ですね。地図をみないと、東京都も巨大、職場が港区だが、港区だって巨大だ。家から会社に行き、ランチでその辺を歩き、家に戻り、週末は家の近所か、車でたまに片道1時間ほどの遠出をする。十分広い。狭さ、隣国との関係、バタフライエフェクトなんて微塵も感じない。
インドが人口で中国を抜く、温暖化で北極の雪が溶ける、砂漠化が広がっている、森林火災が頻繁、韓国の一人当たりGDPが5年ほど前から日本を超えている、なんてニュースから、地図をふと眺めてみた。
地図を眺めて、気づくこといろいろ。ロシア、カナダ、アメリカ、中国、ブラジル、オーストラリア、インド、アルゼンチンの面積は広い、ということ。調べたらこれが面積トップ順。それに、地図を拡大しないと見えない小さな国もたくさん。あれ、ハワイどこ?イースター島どこ?みたいな。
そして不思議な?国と国の”真っ直ぐな”国境の発見。政治的ですね。
ニューギニア島や、ボルネオ島、イスパニョーラ島などのように、小さな”島”なのに、2から3つの国で分割されているのも、不思議。歴史に興味が沸く。
そして、緑と、砂漠・岩(緑が無い乾燥地帯)と、雪(緑でも砂漠でもなく真っ白)がわかる。
地球の北と南の果ては雪、氷。砂漠に強い規則性は感じられないが、でも赤道より北と南に、地球を一周はしていないがベルト状になんとなく傾向が見える。赤道より北は、アフリカの北、中東から中国、モンゴルに比較的に帯状で砂漠。岩も含めかもしれない。赤道より南は、アフリカの南側のナミビア、南アフリカからオーストラリア、アルゼンチンで砂漠(ちなみに上の写真ではわからないけど)。
メソポタミア文明やインダス文明のように、人類の発展の”お陰”で、農業や家畜、そのための森林伐採、放牧、採鉱などの”お陰”で、緑豊かな地域が砂漠になったり、人間にはどうしようもなく気候変動で砂漠になったり。でも、アフリカから人間が広がってきた地域で大型動物は絶滅していき、農業や都市化で環境も破壊してきたのよね。。。
木を見て森を見ないはダメ。木も森も見よう。見・視・観。ケンシカン。その通りだと思う。細かい点の注視も、広く鳥瞰も、偶然目に入ることからも気づきを、いろんな見方をしよう。でも、事業していて、仕事していて、あるいは家庭で、どうやって俯瞰的に、鳥瞰的に、森を観るように広く観るのかはよくわからない。
人間は空高く飛べないもの。。。
いろんな選択肢をあえて考える、ということだろうか。原因もいろいろ、解釈もいろいろ、打ち手もいろいろ、使う言葉も表現もいろいろ、そして、人の価値観もいろいろで、立場によっていろいろ。短期的でなく、中期的、長期的に考えよう、ということか。
地球を遠くから観ると感じられる隣人。遠くても近く感じる国々。日本は、日本だけを考えていてもダメね、そう気づく。何かの歴史の、あるいは、地球のいたずらがあれば、日本は日本でなかったかもしれない、そんなことも思う。「観る」って大切だ。
日本や各国の歴史の本を読んでも、年表を見ても、個別的な偶然や今に影響する歴史的イベントを理解できるが、地球全体の総合的な近さは感じられない。そういう発想には行き着かない。やはり「観る」って本当大切だ。地図を見る、それは地球規模で考えるくせの第一歩のように思った。
こんなことは、普段の生活からはわからない。感じ得ない。そういう思考にならない。海外の方と出会い、議論しても、その国にいないから、本気ではわからない。その国にいても一部はなんとなくわかるが当然自分の経験なんて断片的で、より広い知識は無い。視野を広く、なんて言われても難しい。国際ニュースも対岸の火事?
でも、地球規模の価値観を持つことの大切さは理解できるし、そうありたい。で、まずは地図を眺めるはいいかも、と思った。海外の人と話し、海外の歴史を学び、海外の今の本を読み、映画やドラマもありだけど、地図を見る。全世界を見る。近くに感じる!近さのイメージが視覚的に脳に入る。全体を考え、隣人を愛さないとねと思う一歩。
今日のベターアイデア:
木を見て森を見ないはダメ。木も森も見よう。見・視・観。ケンシカンであろう。わかる。でも、具体的に何をしたら良いかはわからない。環境問題とか、地球規模で考えてみたい。でも日々の生活からは遠い世界の話で現実味がない。ダメな思考とは思うけど、どうしてもそうなる。でも地球規模の価値観も持ってみたい。どうしたらいいのか。で、世界地図を見るのから始めるは良いアイデアと思った。近さを感じる。ベターアイデアかな。
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