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「記憶・思い出す」は制御不能。嫌なことも思い出す。だから:(ベターアイデア? v3-64)

会社で、アイム君がやってきた。「ボクさん、ボクさんはよく自分は記憶力無い、記憶に頼らず生きる、記憶より思考力が、ロジカルが大切だ、なんて言っていますよね。記憶力というのか、思い出、というのか、やっぱり覚えているって大切かと思ったんです。」とのこと。

「へえ、どしたの?いきなり。。。」

アイム君、免許更新に鮫洲(東京の場合です)に行った、とのこと。「ゴールド免許かと思ったらまだブルーだったんです。あれ???ゴールドじゃ無いのか?って思って、おかしいなぁ、と思って、ブルーになった。」、ってくだらない冗談を言われた後に、本題です。

歩いていたら近くにおばあちゃんのお家があったことを思い出した、とのこと。で、探した。おばあちゃんのお家はマンション。小さい頃はおばあちゃんっ子だった、とのこと。見つけた。おばあちゃんは3階に住んでいた。下から3階のおばあちゃんの部屋を見上げた。

ふと思い出した。おばあちゃんの家に行って帰る時、いつもあそこのベランダでお見送りしてくれた。手を振っていた、見えなくなるまで。振り返るときは、いつまでも手を振ってくれていたおばあちゃんがいた。もう亡くなって久しい。このマンションも今は誰が住んでいるのか。

思い出したら悲しくなって涙が出てきた。でも、涙の後、駅まで歩きながら楽しい思い出も、たくさん思い出した。なんか、心が洗われた気がした、とのこと。

で、つまり、記憶しているって幸せだな、思い出せるって幸せだなぁ、って思ったのです、とのこと。思い出したくないこともあるけど、とのこと。記憶をあまり重視していないボクに、そうでもないのかもよ、って伝えたくて、とのこと。うぐぐ、確かに。ボクもおばあちゃんっ子だった記憶があるが、思い出そうとしても明確なイメージで楽しかったイベントが出てこない。思い出すシーンもあるのだけど、感情がセットで現れて来てくれない。。。左脳的なのか、花札したり、トランプしたり、麻雀したり、追いかけっこしたりの記憶はあるのだけど。。。

「あなたが二通りの休暇のどちらかを選べるとしよう。ヴァージニア州ジェイムズタウンに行き、1607年に北アメリカ大陸本土初のイギリスの定住地が置かれた歴史的な植民地の村を訪れるというのが第一の選択肢。

第二の選択肢は、アラスカのトレッキングであろうが、フロリダの日光浴であろうが、ラスヴェガスでのセックスと薬物とギャンブルの勝手気ままなどんちゃん騒ぎであろうが、何であれ自分にとって最高の夢のバカンスを実現すること。ただし、1つ条件がついている。もし夢のバカンスを選んだら、帰りの飛行機に乗り込む直前に、そのバカンスの記憶をそっくり消し去る薬を飲まなければならない。~。

あなたはどちらの休暇を選ぶだろうか?たいていの人はかつての植民地ジェイムズタウンを選ぶだろう。なぜなら、ほとんどの人が物語る自己にクレジットカードを握らせるからで、この自己は物語にしか関心がなく、どれほど興奮に満ちた経験であっても、記憶にとどめられないのなら、まったく興味を抱かないからだ。」(「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社))

人間って、確固たる自己なるものが実はない。右脳と左脳が分離している(分離脳患者)だと、それぞれが違う思いを、同じひとなのに言うこともあるよ。人間は本当に経験したことを、自分の都合で物語にかえて、脚色して、一部を忘れて、一部を誇張して、「経験」を作り出している、みたいな主張の中での話し。つまり、経験を自分の物語に変えたいから、思い出して語れないと意味が無い。だからジェイムズダウンが選ばれる。

「いやぁー、ジェイムズタウン行ったけど、くそつまんなかったよ。歴史書でさんざん俺は勉強したから、新しい知識はなかったなぁ」。あるいは「ジェイムズタウン行くべきだよ。アメリカの歴史のスタートだ。なぜ、厳しい生活が待つアメリカにイギリス人が来たのか、どんなひとだったのか。学び多いよ。何事もスタートを知るべきだよ。そこから始まるんだから」とか。

自分を物語るために、経験を利用する。でも、ボクは、どうせ忘れるから、ジェイムズタウンは選ばず、最高の夢のバカンスに行く、と思った。アイム君に質問したら、「うぅーん、忘れちゃうのかぁ。。。薬を飲んだふりするかなぁ。」とのことでした。つまり、忘れること、思い出せないこと、物語にできないことに、抵抗があるのですね。

思い出せる、記憶できる、ってそりゃ良いこと、だと思う。だけど、嫌なこともふと思い出す。記憶できているか、思い出せるかって、自分ではノーコントロール。。。制御できない。これ困ったこと。

「博士の愛した数式 」(小川洋子著、新潮文庫)ではないけど、忘れないように思い出せるようにメモをする。あるいは日記を書く。これがよいアイデアのような。嫌なことは書かない?失敗は書かない?そうね、読み返して思い出すかもしれないから。どうだろう、嫌なことは記さずに、素敵なこと、笑ったこと、楽しかったこと、かわいかったこと、そんなことばかりをたくさんメモしたら、日記にしたら!

それと、嫌・失敗とかマイナスに物事を捉えない性格・知性・なんらのチカラを持ちたいですね。

あれ?最高のバカンスを選んで、忘れてしまったけど、「薬を飲んで忘れちゃったんだよ」って経験を語ればいいのじゃないのかな。自分の物語になる。「帰りの飛行機が、ラスヴェガス発成田行きだったから、たぶん、ラスヴェガスに行ったんだよー。俺のことだからだいぶギャンブルで稼いだと思うんだよ。でも、口座は増えていないんだよ。減ってもいないけどな。すぐに記憶を探しに戻ってみるかなぁ。映画ハングオーバー状態だなぁ。」

今日のベターアイデア:
おばあちゃんのマンションを思い出し、ふと立ち寄って、記憶してるおばあちゃんの姿、一緒に遊んだ像をイメージ。悲しさとうれしさと感謝を思い出す。記憶できているってもちろん素敵です。嫌なことは忘れて、こんな素敵な事だけ覚えられているといいですね。困ったことは、思い出す/思い出せない、記憶できる/できないが、自分ではコントロールできないこと。思い出したくない嫌なこと思い出すし、一方で、おばあちゃんとの素敵な時間は思い出せない。だから、ベターアイデアは、「イヤ」な経験をイヤとは捉えない、マイナスに捉えない性格・チカラ、を育てる(むむ、どうやって)と、素敵なことばかりをメモする日記帳があるとベターですね。

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