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「迷い・優柔不断・先延ばし」も時に良いことでは?(「ビュリダンのロバ」)

先の土曜にNetflixの韓流ドラマ「補佐官」を見終わった。めちゃくちゃ面白い、という程ではないが、面白かった。で、翌日は日曜。夜更かししようかと、次を探し出す。10分経過、15分経過・・・。韓流は止めよう、洋画にしよう。。。でも、決められない。結局、諦めて寝る。どれでもいいのに、決められなかった。。。ボクにはよくある話。。。


「ビュリダンのロバ」という話、色んな説明がありますが、例えば、

ある日、腹をすかせたロバが干し草を探しに納屋へ行き、納屋の両端にまったく同じ大きさの干し草の山がひとつずつあるのを見つけた。ロバは納屋の真ん中で、ふたつの干し草のあいだに立って、どちらを選ぼうかと途方にくれた。何時間たってもまだ決心がつかない。そのうち、どうしても決められないまま、ロバは飢え死にしてしまった。

「予想どおりに不合理」
ダン・アリエリー著
熊谷 淳子訳
早川書房

まったくアホな話。だけど、意志決定にうだうだしてしまうことは、確かにあります。

ちなみに、ビュリダンは、フランスの中世の哲学者のジャン・ビュリダンさんから来ています。


「ビュリダンのロバ」のありがちな解説では:

・二者択一で、理性的・論理的に両方が同じならば、ひとは決めがたい
・決めるには違いが必要
・だから、大した違いなんてどんなに調べてもないのに、違いを探そう探そうと時間を費やしてしまう。無駄だよ。
・ということで、理性的・論理的であろうとばかり努めるのはどうかな。細かい差を永遠に探し続けるのはどうかな。直感、感情的の方が賢明では?

なんて、学びが謳われます。


現実には、何かの両方が全く同じなんてことはなく、差は常にあるものですが、いずれにせよ、さっさと判断することが「正しい」的な総論があるように思うのです。「遅行より拙速」。

ロジカルに決められればそれでいいし、感情的・直感であってもいい。とにかく決断は早いほうが良い、という”常識”。

「迷い」、「優柔不断」、「先延ばし」、「躊躇」は悪者。


でも、ボクは、迷っていいのでは、と思うのです。

「迷い」、「優柔不断」、「先延ばし」、「躊躇」という第三の選択をしているだけなのです。そう決断しているのです。これら、第三の選択のみを悪者扱いするのはどうかなと。


人生を左右する選択肢AとBを目の前にして、CというAもBもまだ決めていない、という選択肢があってイイ。

ただ、Cという選択肢が使えないときはありますね。例えば、野球の試合で、A:ストレートか、B:フォークかに悩んで、A:ストレートにして打たれて甲子園優勝を逃した。こんなときに、永遠に迷って何もしない、はできません。時間の問題があります。


だから、何もしない選択肢がとれない状況もありますが、悩めるならば、悩めばイイと思うのです。

・いつか自分で決められるときが来ます
・あるいは、状況が根本から変わり、他の選択肢が現われるかもしれません
・あるいは、外堀が埋まり、すぐに判断せざるを得なくなるかもしれません

それまで迷えばいいのです。


で、迷う、時間をかける、ということよりも、ボクがとっても危険だと思うのは、怒りや、興奮や、焦りなど、平常心が失われている時に、拙速に決めて行動してしまうことなのです。「遅行より拙速」という格言も時と場合によります。落ち着いて考える時間をとる、ゆっくりと優柔不断である、が大切かなと。

人間、自分が自分でない、ことは良くあります。怒りや、興奮や、焦りは自分じゃないですね。ま、どっちが本当の自分か?って問題もありえますが、思考力が失われている際の行動は大概にして過ちにつながります。

迷おう! 先延ばししよう! 躊躇しよう!
これらもいいものです。

あ、でも、無意味な興奮や怒りを自分にもたらす原因が近づいてきたら、避けよう・逃げようという意志決定・行動こそは、さっさと早急にして欲しいものです。逃げるが勝ち。


会社の仲間で、ご飯を一緒していると、何を注文するのかメニューと睨めっこで、とっても時間のかかる方がいます。でも、「さっさと選べよ」なんて思いませんし、眺めていると、ま、可愛いものです。食に拘りがあるのでしょうし、せっかくだから自分が満足するものを選びたいと真剣なのでしょう。周囲も仲間がじっくり意志決定するのを待てば良いかな、なんて思うのでした。。。


お読み頂きありがとうございます。
(v9_21)



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