見出し画像

ギリシア神話「シーシュポスの岩」から気づいたリーダーに必要なチカラ


本を読んでいたら、「シーシュポスの岩」というギリシア神話に出会いました。


しかし、経営やらリーダーシップやら組織論やらの本を読むと、たくさんたくさんこんな神話や文学作品が登場し、引用されます。

よく考えると不思議です。

新しい経営理論や組織論、リーダーシップ論を展開しようとも、昔の神話や文学作品に言及する、というのは。まったくに不思議。だって「新しい」なら言及・引用できることは「過去」にないはず。

でも、当然ですね。

「ひと」が「ひと」とチカラを合せてビジョンに向かって歩むのは今も昔も同じですから。「ひと」が経営者であり、「ひと」がリーダーであり、「ひと」が組織になり、「ひと」がチームになるのですから。

結局、「昔」から人間関係・協力関係・モチベーション向上などのコツは変わっていないのです。新しい理論をアカデミアが、仕事だから色々提唱しますけれど、「昔」にも答えはあるものです。「新しい」にももちろん学びはありますけれど。

大企業の経営者が結局はリベラルアーツに興味を示す理由が分る気がします。



で、このシーシュポス(シシュフォス、シシュポス)の話は「永遠に繰り返される苦行」についてです。

「神を欺いた罰で地獄に堕ち、巨大な岩を山頂まで押し上げる罰を負わされる。が、山頂にもう少しのところで、毎回、岩は下までころがり落ちる。これを永遠に繰り返す。この苦行が永遠に繰り返される」。


苦行が永遠に繰り返されるという類似の神話は世界中に多々。不老不死とからめて苦行が繰り返される話。不老不死を欲望するなんて愚かな考えはダメだよ、との戒め。

実際に始皇帝は不老不死と評された薬で亡くなり、一方で、竹取物語では、不老不死の薬は賢明にも捨て(燃やし)ますね。富士(不死)山の由来。それにだいたい不死の存在は人間ではなく妖怪的で、見た目が気持ち悪くなりますね。戒め、換言すれば、諦めなさいというメッセージ。


でも、現代には、不死は可能だよ、と考える科学者もいるようです。研究開発にお金が必要だけど、金かけたらできるよ。それをどう実験するかの倫理問題があるし、さて、成功したら、大いなる差別(金持ちは長生き?不死?お金がない人は・・・)が発生してしまうけどね、って。。。

信じがたいほどに怖い話だ。


さて、この「シーシュポスの岩」の話を最初から最後まで読んだことがないのだけど、これを引用していた本には「シシューポスが、課せられた罰を受け入れ、それに対処することで幸福を見いだしたように」と記されていたのです。

えええ???幸福を見いだしたの???

不老不死の戒め/諦めの点よりもこの「幸福を見いだした」が気になってしょうがない、のです。



この神話を現実世界の職場に展開すると、日々の仕事に幸福を見いだすには、個人の心のチカラもあるけれど、リーダーのチカラも必要だと思うのです。

もちろん、個人が、置かれた状況の苦しみも受け入れながら、苦しみと思うのか、喜びを見いだすのか、自分が未熟で不完全だから岩を頂上まで乗せられないと捉えて努力を継続するのか、潜在能力を信じるのか、自分にはできないとさっさと諦めるのか、誰かの陰謀と他責にするのか、個人の心のチカラ(柔軟性、胆力、勇気、愚直さ、自尊心、責任感、行動力など)に左右される、とは思うのです。

でも、なかなか1人では苦しいもの。そんな時にはやっぱりリーダーが必要です。

自分達の活動の意義・継続後の素晴らしい未来を示してくれるビジョナリーなリーダーが必要。そして、そんなリーダーがいたら、独りぼっちにはならず、仲間が、素敵な仲間がそばに集まるもの、です。



シシューポスはどうやって、この活動に幸福を見いだしたのかはわからないけれど、現実の職場は地獄ではないし、独りではない。シシューポスよりは好条件にある。大いに好条件。

ならば、「幸福」を見いだせる可能性は大いにある、はず、ですね。リーダーなら、自分のビジョンに共感して集ってくれる感謝の存在である仲間に、ぜひとも、日々の活動の意義を、会社の存在意義を、個々の仲間の存在意義を、成長する未来を、おおいに伝えて欲しいな、信じさせて欲しいな、と思ったのでした。




お読み頂きありがとうございます。
(v9_46)



いいなと思ったら応援しよう!