作文は得意だが嫌いという話

 作文の二文字を目にすると、様々な感情が頭を巡り、最終的に虚無を覚えます。私は少なくとも子供の頃までは、作文が大得意でした。いつでも容易に言葉が連なり、苦労したことなど一度もありませんでした。
 
 一番古い作文の記憶には、小学二年生のとき、一行目にカギ括弧を入れる、つまり台詞から作文を始めなさい、と指定された宿題があります。
 私は一行目に「おいしかった。」と書きました。続いて、夜の九時半に家族とイオンのフードコートで食事をとり、祖父母の家へ寄って帰るという内容を綴ったのです。思い出す度、羞恥に顔が歪みます。
 一体どうしてわざわざ、フードコートで食事をした話を作文にしようと考えたのでしょう。たとえば遊園地へ行ったとか、スポーツ観戦をしただとか、子供なりにそういった非日常を自慢してやろうとは思わなかったのでしょうか。私は決して貧しい訳ではなく、行楽の機会もそれなりにありました。

 次に憶えているのは小学四年生のときのことです。学芸会の感想を発表し終えると、担任は私から原稿用紙を引っ張って序盤の文章を自ら音読し、素晴らしいと褒めたたえました。
 作文は活字になって冊子に載り、両親にも認められましたが、私はその時から己の意思で書いたはずの文章が、知らない誰かの言いなりになって書かされたもののように感じていました。不快ではないが、喜ばしいことでもありませんでした。

 私は昔から国語の成績が良く、小学生時代は常に文句なしの満点でした。私にある作文の能力はその成績をさらに彩るおまけ、という認識であったし、実際それに越したことではないのかもしれません。都合よく、私の文章は大人に好かれました。
 小学六年生のとき、私は校長室に呼び出され、訳も分からぬまま盾と賞状を持って写真を撮られていました。町発行の冊子に選ばれるのとは規模の違う、都道府県で開催されたコンクールでの受賞です。銀賞でした。
 私はまたもや別人の栄誉を借りた気分でいました。この頃になるともう私には大人に好かれやすい小綺麗な文、というものが分かっていて、その形式で教師や大人が常日頃から言う教訓などを表現すれば、だいたい良い評価がもらえるのです。作文の能力はひとつの道具です。
 どこに挨拶の大切さや清掃のおばさんへの感謝を本心から伝えたがる子供がいるのでしょう。賞を受け取る直前まで、私は黒板に覚醒剤の絵を描いていました。

 中学生になってから、私は怠惰に腐り始めます。一切の努力を知らないため、成績は下がる一方で、得意だった国語も古文と漢文に関してはお手上げです。
 中学校には、投票で選ばれた学年の代表が一人、文化祭の当日に壇上で作文を読み上げるという慣例がありました。そのため長期休暇の間に作文の課題が出るのですが、あろうことか私は締切の前日に、昨年に書いた作文のテーマだけを変え、あとの形式は全く同じか、むしろ劣化させて原稿用紙に書き殴ったものを提出しました。
 それは自分の作品の盗作と言ってよいものです。せっかく獲得した栄誉を踏みにじる行為です。しかし当時の怠惰な私は何とも思いませんでした。それだけ作文というものに対し無頓着で、思い入れもなく、そしてどこかで見下していました。
 私の作文はそれでも代表の候補に選ばれました。あんなものにでも投票してくれた人がいるのかと思うと、徐々に罪悪感が芽生えるのでした。

 次の年、中学二年の作文は一番頑張ったと言って良いでしょう。今まで書いてきた挨拶や環境保全という興味のないテーマとは違い、個人的な経験から生まれた良作です。しかも私は絵本を読み聞かせるようにはきはきと、自信を持ってそれを発表してみせたので、実際、得た票の数も多く、確実に代表まで勝ち進めると信じていました。
 私はそのあと別室に呼び出され、担任と、同じく呼ばれた学級委員の女と三人で話し合いをしました。話し合いとは名ばかりの、合意の強要でした。担任の話は以下のようなものです。

 あなたがた二人は作文において同じだけの票を集めたが、学級委員の方は別の発表物の代表候補にもなっている。学級委員はそちらを捨ててでも作文の発表をしたいと希望しているので、あなたに情があるなら代表候補を降りてもらいたい。

 この滅茶苦茶な要望に私はイエスと言ってしまいました。担任から、学級委員の女にしか作文を読ませたくないという意思が強く表れてどうしようもなく、もはや威圧でしかなかったのです。
 文化祭当日、全校生徒の前には慎ましやかに作文を読み上げる学級委員の姿がありました。私は次の年も代表候補に選ばれましたが、結局三年とも壇上に上がることはありませんでした。

 中学三年生の頃から、私は小説を書き始めました。自分の好きなことを好きなだけ書ける小説は、作文よりは自由で楽しいけれど、文章を書くこと自体が好きな訳ではなかったように思います。ただ絵を満足に描けず、立体表現などさらにできず、そうなると表現の手段が文章より他にありません。
 作文はいくらか書けていましたが、このときに書いた小説を読み返すと、平凡な中学生並みの出来栄えです。私は過去に褒められ過ぎたあまり、自分を過大評価していました。実際のところは、ちょっと媚びた素振りのうまい文章を書くだけの子供だったのでしょう。
 ライトノベル寄りの小説ばかり書いていたところ、作文の能力が鈍り始めました。多感な時期に入ったこともあり、整った虚構を書けなくなったのです。高校受験の際に書かされた作文など、親から「文章力がなさすぎる。大丈夫か」と心配されるほど粗悪なものでした。

 高校生になると同時に、自分を主役にした作文が全く書けなくなります。入学早々書かされた『将来の夢』は、わざわざ架空のキャラクターを主人公にした物語を作り、作中の一人称を変えて清書しました。
 作文は、自分のことを書くものではない。かといって、そこにフィクション小説のような煌めきがある訳でもない。ひたすらの虚無。誰のためでもなく書いた当たり障りのない文章。作文は得意でした。しかし嫌いです。百点満点の作文を書くなら二点の小説を書いた方がましです。血の通っていない文章は二度と書きたくありません。

 その後の私は読書感想文を白紙で提出し、会話文と共に感想を述べよという問題が出されれば「感想の持ちようがない」という文句で空欄を埋め尽くすなど、どうしようもない生徒になりました。
 仕方なく真面目に回答しても、「心を揺さぶられた」という言葉に赤ペンで線を引かれ、よい表現ですと褒められたりする度にこちらが恥ずかしくなってくるのです。

 小学生のときに必ず書かされる作文に、何か意味があるのか?
 私にはいまだ分かりません。ただ、私がもらった銀賞の盾は、親に内緒で友達からゲーム機を借りる際、その入れ物が隠し場所として役に立ったことだけは確かです。

 無職三年負け組 崎川忍


※ノンフィクション小説です。

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