学級下克上会議
※生々しい表現を含みます。
六年一組の教室へ入り、いつも通り自分の机に学習道具を入れようとした小谷南々緒(こたにななお)は、教科書が何か柔らかいものに阻まれて押し戻される現象に怪訝する。机の中を覗き込む。伽藍堂であるはずの暗がりに、白いハンカチのようなものが放り込まれている。
取り出して確認すると、それは薄い包装紙に包まれており、真ん中をビニールのテープで留めている。中身を見ずとも、彼はそれが何かを知ってはいた。当然、手に触れたことなどなかったが……
名前が出てくるよりも先に、彼はそれをすぐさま机の中へ戻した。ドッと冷や汗が流れ出た。状況の詳細は分かりかねるが、ただ事ではないと本能が警鐘を鳴らした。とにかく、彼はそれの上に教科書を重ねていき、同時に周囲を見渡すようにした。彼の様子に気づく人はいない。真後ろではクラスメイトの佐藤が、その隣にいる山尾の猥談に付き合っている。
「で、剥いてみたわけよ、昨日」
山尾は膝の上に立てたリコーダーのケースを押し下げ、白い楽器の頂点から三分の一を剥き出しにする。その様を、佐藤は眉間の黒子を掻きながらニヤニヤと笑う。山尾がさらに「一皮剥けちゃったわ。そのまんまの意味で」と付け足すと、佐藤はいよいよ笑壺に入った。
山尾の横を一人の女子が通りかかった。戸田ヒナミには彼らの話が少し前から聞こえていたようだ。無表情で二人を見下ろす彼女に、山尾は目をへの字に細め、手元のリコーダーを素早くしごき始めた。佐藤の顔が引き攣る。「や、やめろよ……」
教室に風が吹く。ヒュッ、と空気を切る音がしたと思えば、山尾の身体はリコーダー諸共弾き飛ばされている。ヒナミの蹴りをもろに受けた山尾がひっくり返る隣で、佐藤はどうしようもなく怯えるばかりだった。
「佐藤」ヒナミの表情こそ変わらなかったが、その声色は一段と低く、絶対に逆らうことのできない威圧感がある。彼女は佐藤を真っ直ぐ見つめて言った。
「鞄の中身見せてよ」
これはほぼ命令だった。
観念した佐藤のランドセルからは、一冊のノートが出てきた。ヒナミとその仲間たちは佐藤の秘密を躊躇なく暴き立てる。ノートには佐藤が集めてきた河川敷に捨てられがちな本の切り抜きが、びっしりと糊で貼り付けられているのだった。女子たちはページを捲る度に嫌悪と好奇の声を挙げた。中でもヒナミの目を引いたのは、男性器を咥える女の写真だ。
「なんでこれ咥えてるの?」
顔面蒼白で俯く佐藤の頭上に、悪魔のような声が響く。「ねえ、なんで?」
何も答えられない佐藤に呆れたヒナミは、筆箱からカッターを取り出した。カチッ、カチカチッ、と不穏な音をたて、写真の男性器がちょうど切断されるように、刃を滑らせていく。
「こんなの、切っちゃえばいいのに」
刃が何度も往復するうちに、写真はささくれを作って抉れてしまう。ヒナミの指が捲れ上がった切れ込みに入り、そのページは真っ二つに裂けた。佐藤のコレクションは破壊され尽くした。床に散らばる肌色の印刷物が、皮膚の一部のようにも見えた。
静まり返る男子を置いてヒナミたちは手洗い場へと向かう。廊下で「男子って本当サルなんだね。キャハハ」という甲高い声がこだまし、チャイムの音と共に消えていった。
放課後。南々緒は教卓の周りに集まる数人の女子と机の中とを交互に見やるというのを、かれこれ十分は続けていた。ランドセルの中に忌まわしき生理用品をしまって帰ることができる、その機会を今か今かと待っているのだ。しかし女子はいつまでも担任の中西と談笑している。リーダー格のヒナミが一言帰ろうと言えば、女子は皆言うことを聞きそうなものだが。
ヒナミはランドセルを開けたまま自分の席から動かない南々緒に目をつけ、ぐっと顎を上げた。彼女が男子と話す時は、決まってこのように相手を見下ろす。「何やってんの?」そして当然といった顔で、ただ居るだけの南々緒を咎める。
「四時からは女子の時間なんだけど。早く帰れよ、サル」
そう、放課後の談笑タイムは彼女たちの日課なのだ。この時間帯になると、男子は教室にいることも許されない。女性教師の中西はあからさまに女子を優遇し、ヒナミの暴挙も見て見ぬふりをする。そのようなわけで、此度のミッションは本当に難しい。
南々緒はそれでもヒナミをじっと見上げながら、不利な状況から脱する術を考えた。その時、グループに馴染めず周りと話を合わせるだけだった女子が、ヒナミをやんわりと制止する。
「ちょ、ちょっと言い過ぎじゃない?」
こう言われたのは心外だったようで、ヒナミはカッと目を見開いてその女子を睨みつけた。しかし相手は女子。男のように暴言を吐くわけにもいかない。彼女の口元は意地悪く歪み、相手が一番嫌うであろう言葉を連ねた。
「なによリオ、庇うなんて。あんたまさか小谷のこと好きなの?」
へー、へー、そうなんだあ! わざとらしくまくし立てるヒナミの顔は興奮のせいか、やけに紅潮している。懸命に否定するリオと過剰な演出を続けるヒナミ、二人のやり取りには南々緒も参ってしまった。彼は諦めて生理用品を机に残したまま、ランドセルを背負って教室を出る。あーあー、とヒナミの幼児じみたからかいの声が、廊下に出ても耳を引っ掻いてきた。
「どうして男子なんて存在するんだろ。きもいから絶滅すればいいのになー!」
次の日、いつもより早く登校した南々緒は、すぐにでも机に残されているはずのものを回収すべく、足早に教室へと向かった。前の席にはクラスメイトがいたが、自分より後ろの席で学校に来ている人はまだいない。ランドセルを机に置き、なんとか死角を作ろうとする。机の前に屈みかけた時、あるクラスメイトの会話が彼の心臓を鷲掴みにした。
「バカだなお前、昨日は置き勉点検だぞ」
思考が停止する。置き勉点検とは、その名の通り放課後に生徒一人一人の机の中をチェックし、学習道具を残して帰った生徒を注意する、この学校独自の取り組みだ。週に一度行われる置き勉点検。南々緒はその日が昨日であったことをすっかり忘れていたのだ。
血の気が引く。身体は芯まで冷たくなり、昨日とは比べ物にならないほどの冷や汗が手のひらに滲みだした。そっと、机の中へ手を伸ばす。ない。机の中には何もない。どんなに確認しても、それは完全に姿を消している。
白い揺らめいたものが視界に入る。教卓のすぐ傍を通るヒナミの、ワンピースの裾だ。彼女と南々緒はどちらからともなく目が合う。その間はたった数秒だったかもしれないが、南々緒にとっては何日もの責め苦を凝縮したような数秒間だった。かつてこれほどまでに深い嫌悪の眼差しを受けたことがあっただろうか。ヒナミの大きな双眸に宿るのは絶対的な拒絶で、もう何をしても手遅れであることを物語っていた。
保健体育の授業を行うため、男子は別室へ移された。性教育全般を男性教師の日渡が受け持つこととなり、彼は黒板に簡略化された男性器の図を描く。教育ビデオが受精の仕組みを解説し始めた時、南々緒の席に小さな二つ折りの紙切れが飛んできた。紙には『中西と日渡、フリン! 前に回せ』と書かれている。南々緒は少々呆れながら鉛筆の尻で目の前に座る生徒をつつき、日渡の目を盗んで紙を渡す。
授業が終わっても男子は教室から出ず、四十五分間で知れ渡った噂話に花を咲かせていた。
「マジで見たの? 二組の奴が?」
「職員室に入ろうとしたらこうだってよ、こう」
一人が左右の手で作った狐の口と口を何度もくっ付け合う。「うわあ」と冷めた声を出しつつ、彼らのほとんどが笑みを堪えた。話はさらに下劣さを増し、妄想へ飛躍し、お調子者が見たこともない現場を実演したりする。ふざけ合いの中、南々緒の理不尽に対する怒りは静かに溜まっていく。彼はクラスメイトの話を遮り、冷静な声を作ってその場の全員に問いかけた。
「俺の机に生理用品入れたの誰だよ」
皆が一斉に口を「え」の形に開く。やがて一人一人が顔を見合わせ、まさかという表情をする。誰もが拍子抜けしたように思えたが、ただ一人、佐藤だけは口を固く結んで俯いていた。南々緒が詳細を説明し、沈黙が重苦しくなってきた頃になってようやく、彼は諦めて「ごめん。俺だ」と白状した。
「昨日の朝、一番乗りで来たら俺の机に入ってたんだ。人が来る気配がしたから、混乱してとっさにお前の机に入れた。本当にごめん。でも……誰が俺にそんなイタズラをしたんだ?」
佐藤を見る生徒たちの目に疚しさはない。ただ奇怪な出来事に不快感を示している。何度互いの顔を眺めても、この中に犯人はいなさそうだ。ぽつりと山尾が呟く。きっと、彼らが少しずつ考え始めていたであろうことを。
「もしかして、女子なんじゃねえの?」
六時間目の授業は急遽、学級会議に変更された。教卓につく中西。黒板の前にはヒナミと、彼女の仲間二人が仁王立ちする。
中西の瞳は暗い怒りに燃えていた。彼女が教卓に両手をついて少し前のめりになった時は覚悟が必要であることを、教え子は身をもって知っている。予想通り、中西の喉からは凄みのある声が出る。女のものとは思えないほど低く、掠れた声だ。
「昨日は許せない出来事があった。女子の心を深く傷つける、野蛮な行為を働いた奴がクラスにいる。心当たりのある者は立ちなさい」
訪れる凍てつくような静寂。隣の教室から授業をする教師の声が微かに聞こえてくる。南々緒は既に女子からの刺々しい視線を浴びており、己の心拍数が限りなく上がる様を他人事みたく感じ取っていた。十秒、あるいは二十秒も過ぎたかという頃だ。じっと南々緒を睨んでいたヒナミが突然、その細い身体が張り裂けんばかりの声量で怒鳴り散らした。
「女子から生理用品を盗んだ変態は立てって言ってんだよ、小谷ッ!」
怒号は四方の壁にキンと跳ね返り、何度も南々緒の頭を殴りつけた。やむなく背もたれを引いて立ち上がった彼を突き刺す、いくつもの軽蔑の眼差し。中西はあえて南々緒を見ず、教室の中心に向けてとうとうと語りだす。
「普段からうちの男たちには問題があると思ってたが、ここまでとは思わなかった。保健の授業で教えてきただろうが。男女の助け合い、思いやりの大切さ……お前ら男子には人の気持ちが分からないのか? こんなことをして誰がどう思うかも!」
拳を教卓に叩きつける音に、数人の生徒が肩をびくつかせる。この教師はよく連帯責任という言葉を使うのだった。そうした傾向が女子生徒の意識にも刷り込まれ、彼女たちは告げ口をする時、決まって個人名ではなく、男子が、と言う。
中西の説教の仕方に辟易する少年は数知れずいただろう。いつも反抗する者は現れず終わった。しかし、南々緒は周囲を盗み見る。保健体育の授業、という言葉で再起した彼らの悪意は、間違いなく膨れ上がっている。
南々緒は中西を見据えて言った。
「先生、もうやめにしませんか」
これをきっかけに、佐藤が弱々しいものの確信を持った声をあげる。
「小谷は盗んだりしてません。多分、ここの全員……いや、男子、全員が違うと思う」
「じゃあ女子がこいつの机に入れたっていうの?」ヒナミが間髪入れずに責め立てる。二人の仲間も加わり、「何のために?」「根拠あるの? 証拠は?」と佐藤へ攻撃を集中させる。
勢いをなくしてしまった佐藤に代わり、山尾が口を開いた。
「だって……女子からいつ盗める? 放課後? でもお前らが教室占拠してんじゃん」
「なに生意気なこと……」
ヒナミが握り拳を作った時、教室の後方から「待って」と制止の声が入る。彼女を止めたのはリオだった。隣の女子と共に顔を真っ青にしながら告白する。
「待って、ヒナミちゃん。私たちが……私とユカがやったの」
二人による突然の白状にはヒナミたちも中西も、口をぽかんと開けたまま呆けることしかできない。ヒナミがかろうじて「な、なんで……なんでそんなことしたの……?」と聞く。するとリオは身体を震わせ、ほとんど気が狂ったような態度で叫びだした。彼女が教室で声を荒らげたのは初めてのことだった。
「ヒナミちゃんも悪いんだよ!? 普段から私たちのこと見下して、小谷くんのこと好きだとかからかって、すぐに男子と一緒の扱いしようとするから! だから少しでも男子を蹴落とさなきゃいけなくなって! でも……違ったんだよね」
リオはここまでを一息で言い終え、ひとまず自分を落ち着かせる。そしてその口端に卑屈な笑みをたたえ、己が、何より相手が一番嫌がるとっておきの台詞を返した。
「ヒナミちゃんが小谷くんのこと好きなんだよね」
ヒナミの首筋に血管が浮いた。直後、彼女の白かった顔は一気に赤みを増し、首も耳も、握る拳までが桃の表皮のように色づいていった。目を見開いたたまま何も言えず、床を見つめるヒナミ。その時、身内の危機を庇うが如く、中西の影が不穏に揺れる。前のめりだった身体をいっそう傾け、中西は得意の方法で再び説教を展開した。
「お前ら。どうしてこんなに男女の仲が悪いか、分かるか? 元はといえば男子、お前らが思いやりに欠けた身勝手な行動をしてきたからだ。学校に何を持ってきた? 女子にどれだけ下品なことをした? 一組の男女仲を良くするためには、お前らから変わらないとダメだ」
しかし、いくらどすの効いた声で脅されようと、既に男子の心は侮蔑と嘲笑に満たされている。先程とは種類の違う静寂が訪れ、それが破られる瞬間を皆が密かに待っている。「じゃあ先生もですね」南々緒は軽快な口調で切り札を使った。
「先生もフリンなんかしてないで、変わらなくちゃ」
静電気にも似た小さな亀裂が教室を走る。ヒナミをはじめとする女子が次々と中西の方を見やり、中西の顔からは、サアッという表現の通りに色が消えていく。
「……誰がそんなこと言いだした」
「もう誰でも知ってますよ」
どこからかクスクスと笑い声が漏れだす。調子に乗った山尾が「男女仲ってそういうこと?せんせー、思いやりの方法教えてください」と冷やかす。すかさず南々緒は起爆剤に着火する。「日渡先生を連れてきてな」
静寂はこうして破られた。男子は一斉に吹き出し、拍手をする者までいる。まだ状況が分からず唖然とする女子をよそに、拍手は手拍子に、笑い声はコールに移り変わる。
……わたり。
ひーわたり!
ひーわたり!
ひーわたり!
歓声が最高潮に達した時、教卓はぐらりと傾いた。すんでのところで体勢を戻した机の不協和音と共に、中西は教室から出て行く。乱暴に閉められる扉。南々緒はやっと椅子に座り、「逃げちった」と走り去る担任の後ろ姿を眺められるところまで目で追いかけたのだった。
放課後、ヒナミは仲間から何度も一緒に帰るよう説得されたが、頑なに首を横に振り、先に帰れと命じた。諦めた仲間は心配そうな面持ちで教室を後にする。ここには窓際の席にヒナミと、廊下側の席に南々緒がいるのみとなった。南々緒はランドセルを背負いかけたが、窓辺から感じる熱気に根負けして渋々ヒナミへ視線をやる。
夕陽を背に受けるヒナミの茶がかった髪と、白いワンピースの輪郭が麦色に輝いていた。その顔は全体に暗く陰を落としているのに、奇妙にも目の玉にだけ鋭い光が宿っている。明るい色の虹彩が爛々と南々緒を捉え、目を逸らすことも許さない。
「さっきの、まさか本気にしてないよね。……私があんたを好きとか、ありえないから!」
ヒナミは自身の膝上まで露になっている状態にも構わず、ワンピースをぎゅっと掴んで声を張り上げた。南々緒は彼女の声を、小型犬の威嚇と同等に感じた。怒鳴るというより、吠えている。こう思った途端、南々緒の心に何か快いものが滑り込んできた。
今日の朝まであれほど肝を冷やしてきた存在が、今ではこんなに矮小で、ある意味では可愛らしい。確かに彼は目の前の少女を可愛い、と思った。けれども愛でていたいというような優しい感情ではなく、むしろ逆で、支配できるのならことごとくいじめてみたい。虚勢を張る彼女のちっぽけなプライドを踏み潰して、その時の顔を眺めたい。それは陰惨で正気的でない欲求だったが、南々緒はしばらくこの感覚に浸った。
ヒナミはまだ吠え続ける。再び白肌を紅潮させながら。
「だいたい、今日みたいな日が続くと思うなよ。私たちはいつか絶対にッ」
「女子ってオナニーするの?」
「え」ヒナミの声が途切れる。間の抜けた表情で固まる彼女の元へ、ゆっくり南々緒は歩み寄る。
「俺、分からねーんだよ女が何を考えてるか。今日になって余計分からなくなった。なあ、なんで女は男を嫌うの? いい歳して不倫なんかすんの? 保健体育で何を習ってんの?」
たじろぐヒナミの背には窓。一歩も下がることはできない。それでも南々緒は足を止めず、やがて身体と身体が触れそうになるまで近づくと、彼女の両手首をワンピースの裾から離して掴み上げ、窓に押し付けた。
噛み合わせたヒナミの歯の隙間から、彼女も意図していないであろう短い声が漏れる。恐怖に揺れる大きな瞳に南々緒の影が入り込む。
「おまえら女もきっとサルなんだよ。ケダモノだから群れて攻撃してオナニーしてんだろ? なんか言ってみろよ、ほら。おい、なんか言え」
握る力を強めれば強めるほど、ヒナミの手首の細さが分かった。もう少し力を入れれば折れるという確信さえあった。つむじを見せて俯いてしまった相手の顔を覗き込むため、南々緒は身を屈める。
そこにあったのはよく知るクラスメイトの顔ではない。下顎の歯茎を剥き出しにし、鼻水を垂らし、眼球というよりは白いゼラチン質の塊を真っ赤に腫らした、醜悪極まりない女の形相だった。しかもヒナミは身動きがとれない状況の中、地を這うような声でずっとこう呻いていたのだ。
「殺してやる……絶対、殺してやる……」
南々緒は少し目を伏せてから、握りしめていた手首を放す。その場に膝をつくヒナミに目もくれずランドセルを背負うと、振り向きざまに「明日もちゃんと学校来いよ。じゃあなサル」と言って教室を去った。
廊下で自分の手のひらを見つめているうちに、変な笑いが込み上げてきた。あの酷い泣き顔を思い出す度に、胸の辺りがくすぐったくなる。痛快で、しかし切なさにも似ている、この感覚は何だろう? 教科書にある卵巣や精巣の仕組み、思春期における男女間の関わり方で説明がつくだろうか? 果たして、この日にとった彼らの奇妙な行動が。
次の日、六年一組の教卓には日渡がついた。彼の話によると、中西は体調を崩し、しばらくの間休暇を取ることになったという。
臨時の教師を紹介するから静かに待機するように、と告げる日渡の額には脂汗が滲んでいる。山尾はにやけ面で南々緒を小突く。挑発してやれよという男子たちの狡い目線が、彼に集中する。
「体調不良ね。へえ」周囲の期待を受け、南々緒は頭の後ろで手を組みながら悠長に喋り始めた。その時点で数人が吹き出しそうになっていた。そして、
「あれっ、もしかして妊娠したんじゃないですか? 日渡先生との子供を」
教室中が爆笑の渦に包まれる。さらに言葉を失う日渡の反応が追い討ちをかけ、山尾などは机に突っ伏して笑っていた。南々緒の視界に、屈辱に打ち震えるヒナミの姿が入る。南々緒は一度だけ、ははっ、と軽く笑ったが、一体何が面白くて笑ったのかは自分でも分からなかった。