【隠蔽】すら認められなかったいじめの記憶と、事実の生まれ方について考えていたこと

長い間、記憶をテーマにした小説を書き続けてきた。二年前に書いた『この恋もママゴトですか?』では、虐待された記憶に苦しみ続ける主人公が、一人の男を自分の父親と重ね、自らのアイデンティティにもなっていた虐待の記憶を再現すると共に、その男へ記憶を捧げて破滅した。

記憶は全ての人が持つものだが、社会・コミュニティが決めた「事実」と異なる記憶を持つ弱者は、その記憶を手放せない限り苦しみ続ける。その人に声をあげる力があれば、事実は隠蔽されたのだと認められるかもしれない。しかし、一度決められた事実に対して何も出来なければ、その人の記憶はどんなに真実性を帯びていても妄想としか捉えられない。たとえ、殴られたトラウマから人が腕を振り上げた瞬間に防衛する癖がついていたとしても。

私は義務教育の九年間、家族から虐待を受けていた。少なくとも私の認識ではそうだ。だがその記憶は誰にも認められなかった。立てなくなるまで殴られ、自分だけ充分な飲食の機会や娯楽を与えられず、傷つく言葉を浴びせられてきたが、両親も兄弟も全て私の妄想とした。そして私には虐待を証明する手段が思いつかなかった。
中学生活の後半からは、クラス内外でのいじめがあった。性別の違う生徒たちが加害者であったため暴力沙汰はなかったが、精神的苦痛を与える嫌がらせが一年半以上続いた。席替えで隣になると、主犯の生徒は私を指してこいつキモイんだよと担任に怒鳴り散らした。彼は日頃から私を差別用語で呼んでいた。放課後、担任に相談をしたが、担任は「これはいじめではない」「仲が悪いだけ」と言い、とうとういじめを認めなかった。

中学三年の秋、私は登校中に失踪し、二十キロ以上離れた街で自殺しようとした。しかし橋から飛び降りる勇気が出ず、結局祖父母の家で保護された。その直後、私がいることを祖母に伝えられた母は電話の向こうで大笑いしたそうだ。私は鞄に入れていた遺書を、目の前で祖母に破り捨てられた。

次の日、私は担任に今回の行動の動機を話さなければならなくなった。前日の母の嘲笑と祖母に遺書を破られた事実が、自分の死や自殺願望をひどく矮小化し、死のうとしたことに恥さえ覚えるようになった。それで私は、気がついたらあの街にいたのだと無理のある嘘をついた。

学年主任が来て、何か悩み事があるのかと聞いてきた。私がいじめの話をしようとすると、教師は先回りをして、問題はないと担任から聞いている、と話を打ち切ってしまった。

結局、教師は私がこんなことをしたのは母と仲が悪いからだと結論づけ、学校に呼び出された母の前で「お前はお母さんに認められたいんだ」「本当の気持ちを伝えろ」と命じ、思ってもないことを私に言わせ、事件は解決となった。
教師の説教は五時間に及んだ。帰り道、私は日頃から虐待を繰り返す母に「呆れて物も言えないわ」と吐き捨てられた。

中学を卒業すると同時に実家を追い出され、間もなく精神病を患った私には、激しい感情に取り憑かれる日がしばしばあった。あんな、太ももを縞模様の痣が出来るまで木の棒で殴られたり、修学旅行の行きの飛行機内で座席に悪戯されて身動きが取れないまま一時間過ごしたりしていたのに、完全には狂えず、かといって自分の記憶の正当性も主張できずにいるのだった。

これは妄想じゃない。ならば、事実か?私には記憶しかない。虐待やいじめは確かにあった。でも、誰もそれを認めようとしない。しかしこれを隠蔽とは言えない。なぜなら、隠蔽と呼ぶには「事実を隠したという証拠」が必要であり、私にそんなものは一つも残されていないからだ。事実じゃない、隠蔽でもない、私の記憶は、定まった事実と照らし合わせて見れば、記憶としてすら認められないのではないか?

そうだった。自分のような人間には、変な言い方ではあるが、記憶を持つ権利もない。全て病人の妄想なのだ。合理的な私の記憶より、不自然な事実とされるものの方がずっと正しい。それはきっと永久に覆らない。

私はこれが妄想じゃない、事実なのだ、という主張を、十年もフィクションの中で繰り返してきた。あらゆる記憶に執着し、キャラクターを自分と同じ目に合わせた。虚構の中では、かえって色々なものが真実のように感じられた。私の作品がやがて世間に広まれば、人々の心の中にこの記憶が宿って、一個の真実と化すのではないか、そんなことを夢心地で考える日もあった。

フィクションが現実世界に関係なく、影響もしないものだとは思わない。漫画や映画がきっかけで起きた出来事も多くあるし、人の行動を大きく変える場合もある。しかし私は、フィクションに現実を変える力があっても、実際に現実を変えるのはそれを受け取った人たちであるということを意識していなかった。私が作品を作りながら、どこか満たされなかった理由はそこにあった。

私は問題提起がしたい訳ではなかった。答えは既に決まっていて、それを現実に適合させられないからフィクションに逃げていただけなのだ。本当なら現実世界で自分が信じていることを叫びたい。私の経験は本物だったのだ、と。だから嘘をついてはならない。これは作り話ですよ、なんて誤魔化して、過去の自分を殺してはならなかったのだ。

しかし、過去の私は死んだ。そのことに気がついたのはつい最近だった。ある日、目が覚めて、あの時の私は死んだのだ、と急に悟った。
過去は変えられる。これまで何度も歴史の教科書が修正されたように、人々はその時の都合に合わせていくらでも過去にあったことを再解釈し、書き換える。だから、自分の力ではどうすることも出来ない。そう思っていた。
ならば、どうしてお前はその作業に参加しようとしなかったんだ?という疑問など抱きもせずに。

過去が変えられるのなら、事実は人の手によって生み出されるものじゃないか。そうか、事実は勝手に生まれるものじゃなかったんだ。真実は最初から眠っている宝物のようでいて、実際は長い年月をかけて人々が考え、導き出したものだ。私はその人々の苦労も考えず、現実世界を軽視して事実を求めることを放棄し、記憶と矛盾した結果に絶望した。自分が少しでも早くこのことに気づいて行動していれば、この記憶をフィクションではなく現実に捧げることが出来たかもしれないのに。

しかし、過去の自分はもう死んでいる。私がこれはどうせ作り物だと逃避し、ひとり遊びに使ってしまったから。自分の記憶を一番無碍に扱ったのは他でもない自分だった。

私が、過去の自分を殺したのだ。

事実に出来なかった記憶を抱え、これから生きていかなければならない。
虐待やいじめを受けたことは悪くない。しかしそれを事実として認めてもらうために行動しなかった代償は払っていく必要がある。妄想癖の病人として振る舞うのをやめ、自分はこれから起きる様々な出来事を「作れる」のだと自覚し、事実を勝ち取ろうとし続けることが、殺した過去への償いになるのではないか。いや、そんな綺麗事を言わなくとも、そういう生き方を理想とせざるを得ないだろう。

問題を隠蔽された被害者はたくさんいる。しかしそれは隠蔽されたという事実を持っている人の数であり、隠蔽を認められなかった被害者ですらない被害者はもっとたくさんいると思う。私はそこに善悪の感情を抱かない。人の記憶は可視化できないし、その記憶さえねじ曲げられている可能性がある。事実と認められないものは事実でなく、認められるものは事実であるだけだ。心の傷だけでは現実は変わらない。心の傷すら納得される理由がなければ理解されないのだから。

こう言うと、周りに認められなければ記憶も心も存在しないことになるなんておかしいじゃないか、お前は客観的な事実しか捉えないのか、お前に心はないのか、と叱られるかもしれない。しかしそうではなく、痛みを、憎しみを、何より自分の記憶を信じているからこそ、それらが「在る」前提をこの世界に作るところから始めなければならないと思うのだ。
過去は、録画されているのでない限り二度とは見られない。目に見えないものを誰もが存在したと言えるようになるには、多くの時間と工程、そして犠牲が要る。どんなに正しいと思われる記憶であっても、別の視点から見れば間違いかもしれない。事実に正義も何もない。人が決められることが完璧である訳がない。

──私は両親やクラスメイトを許すことが出来ない。感情的な意味ではなく、こちらに許す権利がないという意味で、許せない。彼らに、世間に、私を虐めたという罪の認識はない。罪のない者に対して「許す」なんて誰が出来よう?過去の私は死んだ。けれど生きていた、という意識はある。事実と矛盾するかもしれないが、確かにそれは存在している。
私は私の記憶を信じる。きっとこれからも。

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