人のために生きる ーキング牧師のメッセージから考えるー
何のために生きるか?自分のため?
自分の幸福だけ求めて生きることが本当に正しいのか?
それで自分は本当に満足か?
それはゆたかな人生なのか?
もちろんいろいろな考え方があると思いますが、
「人のために生きる」「人を愛するために生きる」
という生き方もあると思います。キング牧師のあまり知られていないメッセージに感銘を受けたのでシェアさせていただきます😌
何のために生きるか -キング牧師のメッセージから考える-
公民権運動を導き、ノーベル平和賞も受賞したマーティン・ルーサー・キングは、人種差別撤廃のために生涯を捧げました。
1968年4月4日、テネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプル教会で説教をした後、泊まっていたモーテルで暗殺されましたが、
最後の演説となった前日の説教の中で彼は、「私は山頂に達した」「私は一緒に行けないかもしれないが、私たちは必ず約束の地にたどり着く(平等な社会を成し遂げる)」と語りました。この説教は自らの死を予見したような内容で、『I have a dream』と並んで特に有名です。
https://www.youtube.com/watch?v=X1TJvcZFTc4
さて、実はその前にもキング牧師は自らの死を予感したのかこのような説教を語っています。それは彼が誠実に仕えてきたアトランタのエベネザー教会でのもの。日本ではほとんど知られていませんが、彼は以下のように語りました。
私の生涯の最後にあたって…
私の生涯の最後にあたって、あなた方の中の誰かが私の周りにいてくれたならば、私は長々とした葬式を望みはしません。そしてもし誰かが死者に対しる賛辞を求められたとしても、私は長いスピーチを望みません。今であれ、その時であれ、私がその人たちに語ってほしいと思うことは、次のようなことです。
私は、自分がノーベル平和賞を受けたことについて語ってほしいとは思いません。そんなことは重要ではありません。私がその他にも300も400もいろいろな賞を受けたなどということも語ってほしくありません。そんなことは重要ではないのです。私の学歴について語ってほしいとも思いません。
私は、その日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはその生涯を他の人々のためにささげようとしたと語ってほしいのです。その日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは人々を愛するために生涯をささげようと努めたと語ってほしいのです。
他の人々のために生きること。人々を愛するために生きること。
自分が認められ、賞賛されること。自分が受けることを求めて当たり前の社会において、彼の生き方とそのメッセージは私たちにもう一度考えさせます。
私たちは何のために生きるべきか、と。
聖書もこう言っています。
『受けるよりも与えるほうが幸いである』
新約聖書 使徒の働き20章35節
最後までお読みくださりありがとうございました。
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