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9/12(夕)自分のほんとうの願い

 そこに、38年も病気にかかっている人がいた。イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。

ヨハネの福音書5章5~9節前半

 「良くなりたいか」。このイエス様の問いかけは、38年間も病気を患っている人に対しての言葉だ。普通こんな質問は出来ないだろう。「何を当たり前のことを聞くか」。そう怒りを向けられてしまうことが、簡単に想像できるからだ。
 だが、イエス様がそう問いかけたということには、やはり意味があるのだと思う。もしかして……と想像すると、この人は良くなることを諦めていたのではないだろうか。そして、恨みながら、悲しみながら、ひたすら「とある迷信めいた考え」にすがっていたのではないだろうか(ある池の水面が風もないのに波立ったとき、一番最初にその池に入った者は病いが癒やされる、という考えが当時あった)。

 ふと思う。イエス様は今日もぼくたちに問いかけている。「良くなりたいか」。
 この問いかけを通して、イエス様はぼくたちに今の心の状態を気づかせようとしておられるのだろう。「もしかして、ぼくはすべてを諦めて、この世界のすべてを恨んでしまってはいないか?」
 そしてイエス様は、ぼくがほんとうの願いを取り戻すことができるように導いておられるのだろう。「忘れてしまっていたけれど、ぼくのほんとうの願いは、良くなることだ」。

 イエス様はぼくたちにほんとうの願いを取り戻させてくださるだけじゃなく、その願いに応え、新しい人生を与えてくださるお方。
 「起きて床を取り上げ、歩きなさい」。
 もう一度信じてみよう。イエス様のおことばを。

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