9/5(朝)神にある「自由」へと
※『主のよき力に守られて――ボンヘッファー1日1章』(新教出版社、1986)を読んで。
もし、誘惑というものが、私たちに理解することのできない「神の必然」によって来るにしても、次のことは確かである。すなわち、われわれがこの「神の必然」を崇拝したり、ストア哲学者のように諦めて自分を誘惑に引き渡したりすることのないようにと、あらゆる人間の中で最も試みられたキリストこそが勧めているということ、そして、そのかわりに、神が悪魔の言いなりになる「暗い必然」から、神が悪魔を足の下に踏みつ