一億総評論家現象
今、社会とか世界のどこかで 起きる大きな出来事を取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして 夜があけてまた小さな庶民
Mr.Childrenの彩りの歌詞より
最近、少しだけ知り合いの方のXが炎上していると聞いたので覗いてみた。
僕自身も、一度行きつけの飲み屋で顔を合わせて、少し会話した程度なのですが、介護業界だけではなく、様々な方面に活動を広げている人…らしい笑(僕は人には興味があるけど、規模感とか展開に興味がない)
ただ昔、この方が運営する施設を利用している、近藤さんと深夜にラーメンを食べに行くというTwitterで炎上をしていた時は、僕も介護が必要な歳まで生きながらえたならば、こんな施設に入りたいと共感したし、生き方に寄り添ってくれる様な介護を実現してくれている事に尊敬の念を感じています。
そんな彼が【風俗は福祉である】という発言をして炎上している。
この話を取り上げる以上は、僕の意見も述べないと卑怯だと思うので……
後々の文章で回収はしているとは思うのですが【風俗は福祉】という断定的な見出しは、注目を集めることが戦略的目的だとしても、僕は違和感を感じます。(それがXの様な短文文化の社会の中であっても)
理由はシンプルで、自ら他者の身体を通して愛情を求めるが故に風俗業界を選ぶ人もいるし、性的なサービスを行うことに使命感を感じる様な、いわゆるプロもいるかもしれない(僕は会ったことはない)
が、しかしですよ。誰が好き好んで、扉が開くまで、声色姿形もわからぬ見知らぬ男性との性行為を、福祉と捉えているのか?
世の男性の欲求を満たす為に、様々な"サービス"として繁華街のあちこちに点在していますが、男女双方の"精神的な合意"の元で行われているならば、SMでもどんなプレイでも好きにすれば良い。そうではなく、金と言う、現社会の生命線に近い存在をチラつかせたうえでの"契約"で成り立つ産業を福祉と呼んでいいのか?と思うわけです。
反対の立場で、福祉の気持ちで見知らぬ女性を抱けるのか?と聞かれれば『絶対に無理』と返答できる。
そんな綺麗事の世界ではないかと。
要するに、福祉として使命感を持っている人もいれば、金が無い、頼る相手もいない、借金で首がまわらない等々の、のっぴきならない状況で、その現実を受け入れざるをえない人たちをも巻き込んだ言葉になっている事に危険性を感じる次第です。
社会や人間の問題は、コレとアレとソレを変えれば解決する。という様な単純なものではない。その現実を知っている方が、短絡的に断定的な言葉で発言するならば、その言葉に追求がくるのは当然だろうと思う。
但し、僕はこの方に、発言の撤回を求めたり、考え方を変えろと言う旨の発言をしている人たちにも、大きな違和感を感じます。
別にこの人がどんな考え方でも良いじゃないですか笑??嫌なら離れれば良いし、同意できるのであれば応援すれば良いし。
そんな評論家のフリをして、自分にとっての不適切な発言に対して目くじら立てて叫んでも、自分の人生は1ミリも好転しない。なにより違う価値観の生き方を敵視するなら、全てが敵になって孤立するだけです。
この会社で働く皆さんが、献身的な介護をしていることを、知っている人は知ってる。その事実はどんな発言をしようが変わらないので。
だからね、誰かの発言を不適切だと叫ぶ前に、望まない性販売が行われない様に、社会や福祉はどうあるべきなのか?を考えて一人一人が行動する必要があると思うのです。
評論家気取りの人が多い国ほど、くだらないものはないと僕は思う。
ひろのぶ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?