不仲だった父親から家出して復縁した話(1)
昔から父親とは仲が悪かったです。
父親からみれば、母親と息子がグルを組んで阻害してくるような印象を抱いていたのだと思います。
とにかく、両者の間には信頼関係がありませんでした。
血縁家族なのに信頼関係のない「機能不全家族」です。
日常的にはあまり父親とは会話をせず、どちらかといえば衝突を避けているような感じでした。喧嘩はときどきありその度に逆ギレして開き直る父が嫌いでした。当時は父親のなにもかもが嫌いでした。
祖父が倒れ介護の問題が出て、建設的な会話の出来ない父と幾度となく口論するようになり、その度に「いつか縁を切ろう」と思っていたものです。
しかし、病床の祖父の前で不仲な親子を見せたくない思いがあり、なんとか団結しようと会話を試み少なくとも祖父の亡くなる一ヶ月前あたりでは僕も介護に参加し平穏だったように思います。でも仮の平穏でした。
亡くなる一週間前あたりに大喧嘩をし、腹をくくった矢先に祖父の病状が悪化。そのまま亡くなってしまいました。そのときはさすがに親子喧嘩どころではなく、祖父に付きっきりでした。自宅にいる祖父を家族三人で看取ったのです。
祖父がなくなり家族三人となってしまった自分たちとしては、多くの問題に直面している自宅(端的に言うと老朽化)に対して、絆を深めていかなければならないことは目に見えていました。
また、親をなくし傷心した父や母と手を取り合って生きていかなければならないと強く思いました。
ところが遺産相続を巡り、父と大喧嘩を毎日のように繰り広げ僕は心身ともに疲弊してしまいました。
自分は相続の当事者ではないので、あくまで父の補佐として話を取りまとめていたのですが(法学部だったこと、遺書に問題があったため、遺産相続協議書の作成は僕が担当していました)、不満は多くありました。父は法律に詳しいわけではなく、またどちらかというと感情的な人でロジカルな組み立ては得意ではないという自分の認識でしたし、話も噛み合わず、とはいえ自分にトークスキルがあるわけではなく。口論が度々起こり、その火は次第に大きくなっていました。
僕は「もうこれ以上は無理だ、自分が壊れてしまう」と思い、母には「もう家を出る。祖父の葬儀にもでない」とひどく心配させました。そのときはもう身一つでこの場から逃げたい気持ちだったからです。それほど疲弊してました。
父の説得もあり、自身のけじめとしても祖父の葬儀はなんとか出席しました。
祖父の葬儀を終えた一週間後、僕は家を出て一人暮らしをはじめます。
(次回へ続く)