「教育の目的って何なの?」
はじめは戸惑ったけれど…
6・7月に生徒さんからもらった感想及び意見の第2弾です。
〇生物基礎の授業は他の先生やいままでの学生生活の中では経験したことがないような新しい授業で、初めは戸惑ったけれど自分で授業の内容について積極的に考えるようになったと思う。
〇授業の中で行ったグループワークの時にはその日に学ぶ内容についてみんなと協力しながら考えたり話し合ったりすることができた。グループワークでみんなと意見を共有したり、自分の意見を発信してそれについて相手から意見をもらったりすることによって、自分の考えをより深めることができたと思う。グループ活動で行ったことには教科書から自分たちの疑問点をみんなで共有したり、一度将来についてグループで話したりした機会もあり、とても楽しみながら学ぶことが出来たのがよかった。
〇最初は他の教科とは違っていて戸惑ったけれど、授業形式にも慣れてきて、受動的ではなく自ら学ぶという意識をもって授業に取り組めるようになった。
〇わかりやすいノートをつくろうとすると自然ともっと知りたいという欲が生まれてさらに学びが深まったと思う。どの理系教科もそうだが知識がつながる瞬間がとても楽しいです。
〇今期の生物は、暗記に力を入れる必要がなかったため、事柄を理解することや説明することに自然と重点が置かれていたように思いました。個人的には、暗記しようと思って勉強するよりも、内容をかみ砕いて自分なりにまとめようとした今のスタイルの方が、内容が自然と頭に入ってきて自然な勉強だなと思いました。
〇テストにおいて、覚えたことを文章に起こして説明するのはとても難しかった。今までは文章だけだったけど、図や表を用いるのは新鮮だった。
〇ホットシーティングなど、今までしたことになかったのなかった学びを経験することができたため、たのしく充実した授業を受けることができたと感じました。
〇生物基礎の授業で印象に残っているのは、ホットシーティング。初めて見るアクティブラーニングの形で驚いた。まだ、自分の番が回ってきたことはないが、みているだけでも学ぶことがあった。前に立っている人が話していることに関してどんな疑問が思い浮かぶか考えるのはいい経験だった。ホットシーティングでクラスの人が演じてくれた物質・学者(の唱えた学説)について詳しく知ることができたのはよかった。知っていたら人生で役に立つというわけではないかもしれないが面白かった。
〇生徒が主体的になれる授業だったなと思います。
〇先生の授業・テストの方針は、賛成派と反対派に分かれると思いますが、私はこれまでにない新しいやり方だったので、とても斬新で面白いなと思って、毎回の授業・テストを受けていました。
〇生物基礎は今までにない新しいテストの形だったので少し戸惑いましたがより深く知識を得られたのではないかと思います。
〇今年の生物は、他の授業とは違った、全く新しい形態の授業で新鮮だった。特に他の授業とは違ったのが、授業の冒頭のホット・シーティングだった。最初は正直よくわからないシステムだと思っていたが、だんだん演じている役に、担当の人それぞれの味というか、雰囲気のようなものがあることに気づいた。生物の知識や学びが、そこでの情景や思い出とともに、より記憶の深みに刻み込まれたような感じだった。他の授業とは違う、そのような学びも、私には感じられた。
授業をさせていただきながら……
そう、その目的や目標を考え続けています。
そして、常にそれを意識して進めています。
それは……ちょっとまとめてみましょう。
〇生徒中心の授業展開を目指している
→学びの出発点となる発問を生徒に委ねる
〇学習指導要領の改訂
→指導要領に述べられていることが、今までの自分の授業方針や方法に完全にフィットしてる
また、(共通テスト理科や社会科の)「文章」が長くなっている。
〇“観点設定によって答えが変わる” → これに合わせたテスト問題と授業
〇ぼくの「教育の目標」
“見えない学力”(点数化しにくい力)を育てる
「学び続ける力」を養う
〇「教育の目的」
民主主義を担う自律した人を育む
そして、自らが幸せになること
コロナ下ではっきりと見えてきたこと
ここにきて、学校の授業というものに対する考え方の違いが鮮明になってきたように思われる。そう、学校に通常の通学ができなくなって、主にオンライン授業などが入ってきて、それがはっきりと見えてきた。すなわち、通常の通学における授業が何を目指して行われてきたのかがよく見えてきたといえる。通常の授業で、説明中心、何を覚えるのかが中心、項目名称だけでなく解き方まで理解という名称を付けて暗記させている、それが学びの中心なのか? 教師は生徒に対して「本質的な良い質問」を投げかける、それが当たり前? 自分で質問を考える力、critical thinkingの力、大切なものを選び出す力をつける機会を奪ってしまっていていいのか。これこそ、民主主義を担う若者を育成することなのに…
それは、オンラインで「できる」「できない」の問題ではない。
ぼくは、オンデマンドで「講義が提供できればいい」ということは全く考えていない。しかし、教員を含む人たちの中には、動画で講義を提供していればいい、それが「学び」であると信じている人が多いように感じられる。それでいいのか? それが本当に学びなのか。それが学校に与えられた役割なのか。それが私たち教員に与えられた使命なのか。
オンラインであろうが、リアルであろうが、学びの中心は生徒である。いや、生徒と教師と双方といってもいい。それを実現するためにはそれ相応の学びの場つくりが必要である。私たち教員は、学び手としての主役を生徒から奪ってはいけない。授業において、主役となって学んでいるのが教員(だけ)であってはならない。そのような授業を実現するためには、私たち教員に「教えない勇気」が必要である。
‘良い講義’が最高の教育手段であるならば、最高の講師が(複数)最高の講義をつくって、それをみんなが視ればいい。それでほんとうにこれからの人生を生き抜いていくために必要な力が身につくのであれば。
そう、学校という特別の場が担う役割は何なのか、そこで働く私たちが何をするべきなのか、よく考えることが肝要であろう。
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ここにきて、このコロナによる学校での通常の授業が進めにくい状況になって、強く危機感をもつようになってきた。
そうは言っても、ぼくの勤務校では、こんな話合いをできる環境があって、とてもありがたく感じています。
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