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「先生、なんでこんなに平均点が高いのですか!」
えっ?
なんでそんなことを言うんだろうか? なんでそんなふうに言われなければならないのだろうか…
当に、このときは、当に、耳を疑いました。
そこで、最も気になってたことは、生徒たちの心が荒んでいないかということです。この言葉は、某学校に赴任し、そこで初めての定期試験が終わり、テスト返却の後に生徒から言われた一言なのです。
ぼく自身は、基本的には定期試験に関しては原則的に平均点70点を目指して作成します。このときは結果的にはほぼ目安通りになったものでした。
本来は、学んだことを基準に作成出題するものですから、全員が満点(100点)でもいいと思っています(あの時そんなことしたらどんなふうに言われたのか怖く感じますが…)。
もちろん、ぼくの定期試験への『思い』やそこから生まれる『方針』そしルーブリックを提示した『採点方法』等は、事前に説明し、できる限り開示しています。それでも上のような"クレーム"が出てきてしまうのはちょっとショックでした。
しかし、そこには、この学校が置かれている立ち位置が大きく影響しているものと理解することができます。
「なぜそう考えるのか」そこには理由が…
何ごとにも理由があります。もちろん当該生徒から理由は聞きました。そういうことか…と、ぼく自身も納得いきました。その理由からすると、生徒自身が、上のような感じ方をもってしまっていることは、当に「被害者は生徒」と感じざるを得ないところでした(詳細は今回は記述することは控えさせていただきます)。
ぼくが最も懸念することは、このような感じ方をして、その考え方が染みついてしまい、将来社会(仕事など)においても家庭生活等個人の生活においても、競争すること(というよりもむしろ他人を蹴落とすこと)に目が向いてしまい、周りの人と協力して、心を許して愉しく生きていくことができるようになるのだろうか…ということです。
自分の偏差値や成績(評定)を気にするあまり、他人と仲良くできなくなったら、その結果として、他人と協力して仕事をしたり、家庭生活を送ることに抵抗感を持つようになってしまっていたら、その後の人生があまりにもつまらないものになってしまうのではないかと、思うのです。こんなことを思うは、他人のことだから『おせっかい』でしかないでしょうか?
最も大切にしていること
多くの先生方が思っていることと同様、ぼくは、将来を生きる目の前の生徒の皆さんが幸せに満足感をもって生きていけるようにその基盤をつくる一人として、お手伝いをする気持ちで教育活動に携わっています。そこにおいて、最も大切なことは「こころの育成」だと思うのです。
そのなかで、どのような環境の中でも、自分ができること、自分が正しいと感じていることや自分の信念をもって、これからも進んでいきたいとお考えています。そのために、自分自身、多くの方々と交流し、学び続けていきたいと思っています。
ご指導ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします。