181215 いつか、また。

何をどうしたいのか。
これが全然わからなくなってしまっている。そんな風に最近感じます。
いや、もしかしたらそれは分かっているのかもしれない。
それを相手を尊重した形で伝えられていないような気がしている。

自分が知りたいこと。聞きたい言葉。
それらを相手から引き出すために、自分が安心したいがために、思ったことを言ってしまうし、聞いてしまうのだと思う。
ただただ、自分のエゴを満たすためだけに、言葉を出してしまっている。
きっと今はそんな状態なんだと思う。

それは自分が傷つきたくないから。
自分が大切だって思っているものを失いたくないから。

人間関係はやっぱり相互作用なんだと思う。
自分がいて、相手がいる。
それぞれにその時に考え、感情、悩み、色々なものを背負って相対しているんではないだろうか。
その他者のことを考えないで、自分だけ好きな言葉を吐くのは暴力なんだと思う。
そんなことを最近している気がする。

エゴを満たす行為のことを文学チックな言葉使えるアピールみたいな形で自慰っていう言葉を使う人は好きじゃないけど、きっと今の僕はずっと自慰をしているんだとおもう。
字のごとく、自分を慰め続けているんだと思う。
傷つきたくないから。

ただ、それは自分の中での相手が大きくなってしまっていたから。
それがあるきっかけで自分じゃ抑えきれないくらい、大きくなってしまっていたから。
それが、ある意味自分の全てだと錯覚してしまっていたから。
だから、急にそれがそれ自身の熱を失ってしまうと、僕はひどく悲しく寂しく感じていたのだと思う。

ただ、やっぱり自分は自分で、他者は他者なわけで。
自分のよくわからないところを他者で埋めようとしてしまうと今みたいな状態が起きるのだと思う。
自分を形作れるのは自分しかいないから。

ふっと、そんな色々な他者と自分を真っ白にしてしまいたいと考えた。
まあ現実には無理なわけで。
でも、一度距離を置こう。他者が自分に入り込みすぎないように。
ちゃんと自分で自分を守れるように。
これは壁を作るというわけではなく、自分の身のこなしの問題。
どの距離感で相手と接するかということだと思う。
それを一度考え直したい。

でも、これが最後とは限らない。
もしかしたら、またどこかであの時の自分と相手に会えるかもしれないから。
会えないかもしれないけど、きっとそれはそういうもんなのだと思う。
それに、その時はその時の自分と相手がいるんだと思う。


そもそも変わっていくものだからね。
”あの時”なんて言っている時点で甘いのかもしれないけど、思い出くらいは持たせてよ。

じゃあ、またね。

今日の一曲
今は会えない人かもしれないけど。今は嫌いな人かもしれないけど。
そんな今の自分とは少し距離のある人でもきっとまたいつか会えるんだと思う。言葉を交し合えるんだと思う。
そんなことを思いながら聞いています。
ズーカラデル - 漂流劇団 -
https://youtu.be/nRhycautvCE