その人を生み出す源泉
今日は大学の先輩とお話をさせてもらえた。
日本橋でインターンをしている先輩を訪ねて、オフィスの隣のお店でランチを食べながら色々な話を。
これまた、自分の思考の記憶なので、読みたい方がいれば、読んでみてください。
その土地の意味
日本橋。
江戸時代には、人、文化、商い。
五街道が通っていた日本橋は、諸々の中心として栄えた町だそうだ。
今、そんな日本橋で再開発が進んでいるのだそう。
『再び、日本橋に、人を』
今日僕が訪ねたビルは、その再開発の流れに沿うような企業のみを受け入れているそうだ。
道を通って、人が流れて来る。
江戸時代なんて、電車もあるわけないから。当然、徒歩で。
その人々が、文化や商売を運んで来る。
交通の整備のおかげで、いきたいところまではすぐに行けるようになったけど、移動の中にあったであろう『旅』のような感覚はなくなってしまったのかもしれない。
スピードを落として、その道中で見えるものと向き合うのも良いかもね。
エゴを満たした先に
「自分の好きなものを突き詰めて、エゴを満たしてしまった途端、それがすごくつまらないものに思えてしまったんだよね。」
世界を回った先輩が話してくれた。
最初は、本当に純粋な欲求として、『世界を回ってみたかった』のだそうだ。
ただ、その欲求が満たされた瞬間に、社会のため、人のために何かをしたくなった。
そして、先輩は帰国後、今の会社でインターンを始めた。
「自分の中がいっぱいにならないと、溢れた分しか人には与えられないんじゃないかな」
これは、また別の先輩が、僕の研究発表の時に反してくれた言葉。
社会のため、人のために動くことを求められるのが、”社会人”と呼ばれる身分の人だとすると、”学生”と呼ばれる身分の人たちは、100%自分本位のエゴを吐き出したように動いてもいいのではないだろうか。
きっと、そこまでとことん自分の好きなこと・してみたいことと向き合った人じゃないと、本当に社会のため、人のために動きたいとは思えないのではないか。なんて考えたりしました。
そういう場を、きっと今の僕ならもっと多くの学生に提供できるのだと思う。
『みやま君にとって、対話のいいところはなに?』
僕らは、普段人と話す時に、心で浮かんだことは一度、脳の中でいくつかのフィルターを通してから、言葉を発しているように感じる。
その場にあった内容や語句選び、話し方など。
そういった『社会性』というフィルターを通して整えられた言葉を、普段の会話の中では並べている。
それと比べて、僕の考える対話というのは、『感情ベース』で話せるところにその魅力を感じている。
その瞬間、その場で感じた想いをそのままの形で吐き出すことができる。
感情は、その人を強く反映するのではないかと思う。
思考は、鍛えたり知識で補強することができるかもしれないが、感情に関しては、それは無理なのではないだろうか。
嫌だと思うものを無理やり『嫌だと思わないようにする』ことは、不可能なように感じる。
もちろん、時間が経ったり、ある経験のおかげでそれが嫌ではなくなる時もあるだろう。
その、『嫌でなくなる』ということも、その人の経験や価値観の変化というものを反映しているような気がする。
まだ、あまりうまく言葉にできないが、やっぱり感情はその人を強く映し出す。感情と向き合うことで、自分をより知れるということはあるように感じるのだ。
ここは、もっと掘り下げてみたい。
『源泉』という人間の本質
先輩と話をしていて、一番心が動いたのが
「人には立ち帰れる場所であったり、意思決定の軸となってくれるような『源泉』がある。」
という、先輩の言葉であった。
その人の感情や考え、その他諸々が湧き出てくるような『源泉』が人にはあるのだという。
この考えにはすごく共感したし、今の僕はこれを探しているのかもしれない。
先輩はこのことを『その人の本質』とも表現していた。
仕事を例にとってみると、自分がしたいことの根底にある想いはなんだろう。その想いはどんなところから湧き出てくるのだろう。
この想いの湧き出る場所が『源泉』であり、『その人の本質』なのではないだろうか。
そういった、その人の一つ一つの要素を生み出してくる場所。そういうものが人間にはあるのではないか。と先輩の話を聞きながら考えていた。
僕の源泉は一体どこにあるのだろう。
じっくり、深くまで、掘ってみようと思う。
余白
今回の、先輩との会話の中には、これから考えてみたいことや、新しい発見が本当に多く詰まっていた。
忘れないように、とりあえずメモ書き程度に書き記してみたが、言葉にはできていない部分も非常に多くある。
コレをベースに、これから経験することを、いちいちここに引き寄せて考えてみよう。
もっと、自分に、人に、向き合おう。人の泉を掘り当てられるように。