#2 知る 伝える を 超えて。
アルバイトをしている塾で、第二次世界大戦のところを教えていた時に、
「ユダヤ人って何も悪くなかったんだよね?」
と、生徒に聞かれた。
僕は、そうだよ。と答えたがそれ以外に何を言うこともできなかった。
僕は”知って”いる。
ユダヤ人が受けた迫害についても、ホロコーストについても。
どのような施設で、どのようなことが行われていたのかについても。
そして、僕はそれを”伝える”ことができる。
授業などで、生徒に聞かれれば何があったのか、どうしてそうなってしまったのかを話すことはできる。
でも、それで本当に”伝わった”ことになるのだろうか。
伝えるべきなのは、客観的な史実だけなのだろうか。
僕は、それではダメだと思っている。
なぜなら、そこには多くの人の想いが流れているから。
過去のある時点で止まってしまうものではない。
過去と今、そして未来を繋いで、その出来事には想いが流れているのだ。
その想いを僕はもっと知らなければならない。
勝手な使命感ではあるが、この時代を生きて未来を生きていく者として、
その”悲劇”に向き合い、そこに自分の想いを、物語を紡いでいかなければならないと感じている。
知る 伝える を薄っぺらいものにしないように。
言葉に想いを込められるように。
もっとたくさんのものに触れていこう。