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『旅』のこと②

2回目のNYへ。
前回の反省も踏まえつつ準備ができていた…ちょっとは。
事前にカナダでのワーキングホリデーを挟んだ。
滞在はNYにまだ近いという理由で北米最大の都市トロントに決めた。
マンハッタンへはグレイハインドのバスで 10時間くらいで行ける…ただ近中継地点という意識だった。
(トロントでは、色んな出会いがあるのですが)

ワーキングホリデーは、その国を知れる程度に仕事と旅行、学びもできる良い制度だ。
30年前に比べると、受け入れ国が格段に増えているみたいですね、30歳までなら参加できるので機会があればぜひ。

トロントは、経由したバンクーバーより大都会で街も綺麗。
ツテもない初めての一人暮らし。それも日本じゃないしすべてがわからない…本当に自由だw
ホットドッグの焼ける匂い、初夏の陽射しでキラキラしていて希望に満ちた気分だった。

まずは街の中心(ターミナル)を拠点にして歩いた。外貨両替所の黒人のお姉さんがいつも優しくしてくれた。
先ずは「ユースホステル(安宿)で情報収集すべき」とガイドに書いてあったから行きました。数日滞在すると一緒にご飯を食べたり情報交換もできる友達も。地元紙見つけたカナダ人男性3人とルームシェア生活が始まった。職探しは日本語を使わない所でいくつか探したがオファーされず所持金が底をついてきたので、日雇いのガソリンスタンドの洗車バイトに早朝から何度も雇われず。毎回、倉庫街を通るストリートカーから見える「労働者の列」が気になっていた。同じ境遇の友達と「行ってみる?」と。かなりヤバめの人らと並んでいるときに初めて「道で花束を売る仕事」だとわかり日雇い採用となった。
花と水入りバケツと一緒にトラックに押し込められ、一人ずつ花と一緒に降ろされ「ここで売れ、17時くらいにまたピックアップにくる」ということだった。バラで5本5ドル、10本10ドル、20本20ドルの花束セットが山盛りある‥僕らは知らないところに降ろされ、売れた分の20%のキックバック(20ドルだと$4)。
業者は花をどれだけ渡したかわかるから、僕らは花と積まれて一緒に降ろされて売る、迎えに来る‥英語ができなくても簡単な仕事、日本人は初めてだと笑われた。
その日からカナダの独立記念日週だったので、めちゃくちゃ儲かった。数日間で家賃も稼げました。カードなしで所持金6,000円だったのにwww
本当に唯一の自慢は「運がある」という能力…ウハウハだった。
それも長く続かず、僕のバブル弾けてきた…日当$2に、潮時とみてついに日本食レストバイトの仕事に手を出してしまう。
日本人だから重宝されるし安定するから楽なんですよ、まぁ日本人社会の恩恵を受けるかな、まぁ仕方ないと。
日本人社会は狭くどんどん繋がっていて、超貧乏だったけど、精神的ハングリーさはなくなってきていた。1年滞在の後半は「もうニューヨークへ行く」という気持ちだったし、現地で働いている方、留学生などと一緒に毎日考えず遊んでいたように思う。いま考えても、怖いものは何もない一番浮遊している時代だったなと。

その頃はみんなあてもなくトロントに来て、帰る、別の国に移動する、はじめまして、さよなら、またどこかでの繰り返し、目の前を行き来することが当たり前になっていてそんなのに慣れてきていた。誰だったけとか記憶にないような夢のような‥。自分がなかったのか、記憶にとどめるより、身体に透すような…時間でした。

そのころの友達は東京、大阪にもいて連絡は取り合っています。みんな「あの時はなんだったんだろう」と楽しくて淡い日々はもう2度と来ない。

★「その頃の君へ」
あの頃はよくわからないけど毎日浮遊していたね。でもちゃんと意味があってそれはそれで糧となっているから安心を…いま日本で働いています…それでもまだ多少浮遊感はあります。
人ってあまり変わらないんですって、だから大丈夫ですよ。


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