「運命の水葬」
運命は水槽の中で腐り果てていた。
そもそも、何故、運命なんてものを水槽に入れてしまおうと思ったのか。そこからして十分に不可解だ。だが、その時の僕には、運命を水槽に入れること。それこそが一つの定められた運命のように思われた。
ブクブクと新鮮な空気を孕んだ泡を吐き出すポンプが鎮められた水槽に何故、運命を放ったのか。それは、僕が運命という重い物を抱え続けることを拒む一つの逃げの形だったのかも知れない。けれど、当時のことをはっきりと覚えている訳ではない。それ故真意は、僕自身にも分からない。
水槽の中には、すでに数種類の金魚が飼育されていて、混泳が難しい種類も徐々にならして、自分で言うのも何だけれども見事な水槽が出来上がっていた。
運命なんて明らかに異質な物を水槽にいれてしまえば、水槽の中の世界の均衡は崩れ、僕が積み上げたものも無残に失われ悲惨な結果が訪れることは目に見えていた。それでも僕は、水槽の中に運命を放った。運命は、徐々に形を変えて、水槽という環境に適応しスイスイと泳ぎ出した。それからというものの運命はブクブクと太りだし、遂には琉金よりも大きくなってしまった。貪欲に肥った運命は、僕がやる餌だけでは満足出来なかったのか水槽のなかの金魚の鱗をボロボロと零して、その身をむさぼり喰うようになっていた。その時には、もう僕の関心は金魚たちには無く、運命の思うがままにさせていた。
やがて水槽は、かつて金魚だった運命の糞で濁り、頻繁に掃除してもフィルターは直ぐに詰まり、いくら掃除しても同じだった。当然の流れのように、僕は水槽の掃除を辞めてしまった。その結果は、言うまでもないのだけれども運命は自らが汚した水槽の中で緩やかに窒息し、水槽には腐臭が垂れ込め、遂には、運命はプカリと水槽の表層に浮かんだ。その横っ腹は、腐り落ち今まで見えなかった内部構造が露呈していた。僕は、コレは内蔵なのだろうかとまじまじと見ていたが、あまりの悪臭に嗚咽を催し、嘔吐した。
僕の様子の異変に気づいたからなのか、普段は僕に少しの興味も抱かない母が僕の部屋に入り、変わり果てた水槽を見て僕を叱り付けた。こんな歳にもなって母に怒られるなんて予想だにしなかったが、僕はボソリと黙れよと一言だけ言葉を放ち文字通り母を黙らせた。
そもそも運命は、僕の恋人が家に挨拶にきたときに偶然生まれたものなのだけれども、(運命は、人間関係に重要な変化が起きるときに時たま奇跡に近い確率で生まれるらしい。というのが何処ぞの偉い学者の弁だ。)今になって思い返せば、その時から僕は、生れ落ちた運命を育てることを面倒に感じていたように思う。
今や、運命が腐ろうが死のうが僕の知るところではなかった。最早、僕が恋人に言いたいことなど何一つなかったのだから。僕が、運命を台無しにしたのはコレでn回目になる。水槽に放つ前は、犬小屋で育てたり、室内で飼育を試みたこともあってが、全て駄目になった。初めて、運命を手にしたとき土に埋めてみたらあっけなく死んでしまったのは、今思い返しても笑けてしまう。僕は、ひょっとすると貴重な運命を殺してしまうのが楽しみなのかもしれない。なんてことを静かにほくそ笑みながら思った。僕は、僕の楽しみのためなら僕がどうなろうとどうでも良かった。僕自身に対する興味などとうの昔に失っていたから。
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