可愛いの定義
可愛い…可愛い…
永作博美さんが可愛い…
なんだあの可愛さは…
昨晩久しぶりに人のセックスを笑うなを観た。
映画が上映された当初巷で話題となり20代前半の私はこれは観にいかねば!と休みの日に一人で渋谷の映画館に観に行った記憶がある。
この映画を観た当初は蒼井優ちゃん扮するえんちゃんの目線で観ていた。そのため内容がよくわからず共感することもあまり無かった。
とりあえず永作博美さんを観てこんなに可愛いお姉さんがこの世に居るんだと魔性大人女子の演技に圧巻した。
映画の世界全てがお洒落で可愛いくて大好きだった。ただその時の感想はそれでしかなく、ぼんやりとした曖昧な記憶しか残っていない。
今、時を経て大人になり今度は自分がユリ(永作博美さん)と同じ年齢になってこの映画を再び観ると、当時とは見える世界が全然違う。解釈も変わる。わからなかったことが理解できるようになる。
よくわからないけどなんか理解できる。
曖昧だしユリと自分が重なるわけではないけれどそれでも昔より全然理解が出来る。
思ったことは…
人はいくつになっても少女のままで居て良いんだ。
そんなことをユリを通して感じた。映画を観て心地が良かったのはきっと〝大人になってしまった〟自分への励ましになったからに違いない。
いつまでも少女のままで居てもいいんだ!と肩の荷がスッと降りたような。
こんな自由で素っ頓狂でヤンチャでどうしようもない大人の女性なんて世の中に居ないだろうと映画を観た当初は思っていた。
しかし歳を重ねた自分はまったくそれであるのだ。
そんな自分を肯定してくれているようで心が和んだ。
そしてこの作品で面白いなぁと感じたのは大人女子特有の
長年生きる上で培ってしまった〝変な習慣〟〝変な拘り〟〝変な癖〟が盛り沢山。
映画の中でユリは薄いデニールタイツに白い靴下、そしてローヒールのバレエシューズが定番スタイル。髪を一つにくくるとぐちゃぐちゃのセブンスターのソフトケースから煙草を出して一服。
その独特の染みついた癖みたいなものが謎に癖に刺さる。
そして何と言っても気になるのは帰宅後にニットワンピを脱いだ時に御披露目される
薄いデニールタイツの上からパンツを履いている斬新さ。
え?!なんで?!
何回巻き戻してもそれなのだ。
パンツオンタイツオンパンツなのか?!
しかしそれもなんか…妙に癖に刺さる。
透け透けパンティなんかよりよっぽどエロくて更に可愛い。。。
ニットワンピースもピタピタでベージュだから身体のライン透け透けなんだけど永作博美さんがそれをやっても変ないやらしさとか無くてただただ可愛い。とにかくスタイルが可愛い。
更にはダサさも可愛いくなる。
無敵すぎないか?!
ハチャメチで自然に周りを振り回すからこそ憎めないしとにかくチャーミング。歳下の男の子が一回り以上離れた女性に惹かれていく理由がよくよくわかる。
大人女子の可愛さは若い女子の可愛さよりある種魔力があって危険だ。
内容としては学生と臨時教師とのいわゆる不倫なのだが、全く泥沼さは無く〝悪〟を〝悪〟として描くかれることもなく、あまりに嫌味なく、ナチュラルに描かれていて見終わったあとによく考えると
なんで?!てなる。
それが全部可愛いで許される。
これこそが永作博美さんの女優としての力量なのかもしれないがアッパレだ。
だって、ユリ、みるめくん、猪熊さんの三人の繋がりはどう考えても修羅場なはずなのに、ほっこりしてしまうのだ。何なんだアレは…
この三人はマリーアントワネットとフェルゼンとルイ14世陛下のそれではないか!
この映画を観て私の思い描く可愛いの正解が見えた。コレだよコレ。私の求める可愛さはコレ。
可愛いさとは〝完璧〟ではない。足りないところや欠陥したところに可愛いさがある。〝若い可愛さ〟は有限だが〝真の可愛さ〟は無限であり歳を重ねるごとにもしかしたら増していくのではないかとすら感じた。
外見に気を配るのは勿論、内面の可愛さ、茶目っ気、笑顔、甘え上手、人の懐に上手に入り込む話術や仕草、知性、ユーモア…
そう思うと…私もまだまだ頑張らねばならない。
いや、もはやこれからなのだ…。
今からの可愛いの積み重ねが今後の自分の人生に降りかかってくるのだ。
目指せ大人可愛い女子!