日記
ボロアパートの隙間風というのは、人を死に至らせるほどの加虐性を帯びている。今朝、目が覚めたら体の先端部分がまるっきり体温を失っていて死ぬかと思った。2日連続今月3回目の死の予感がした。ゆらりゆらり揺れる時計の針を目で追いながら、昨晩、寝ぼけながら焼酎を食らったことを思い出した。暖かくなるまで眠っていようともう一度目を閉じた。
それから、髪の毛を切りに行った。生きる上でバランス感覚ほど大切なものはない。バランス感覚さえあれば、大抵のことはうまくいく。だから、髪の毛を切りに行く。前髪で目が見えない奴が陰鬱なことを口走っていたらなんの意外性も面白みもない。小学生がランドセルを背負っているだけじゃ多くの人は気にも留めないけど、冴えないおっさんがランドセルを背負っていたら興味が湧くだろう。そういうことだ。要素を際立たせ、生かしてあげるには、できるだけ親和性が低い要素を並べ示すことが肝要だ。だから、前髪をばっさり切った。切りすぎた。
そして、古本屋に立ち寄った。高円寺には古本屋が少ない。いや、古本屋がないことはないんだ。正確に言えば、蔵書のラインナップがシケている。高円寺の人間にお高くまとまった理工書なんかいらないし業界地図なんてのは世界地図と見分けがつかない。宇宙の真理よりもフリーター同士のどうしようもないセックスに興味がある。そもそも、ここらの識字率は限りなく低い。体感30%を切っている。「路上喫煙禁止」の看板が意味をなしていないのがその証拠だ。奴らは刹那的な事象をカッコいいと信じている。そして、同様の価値観をベッドに持ち寄って正当性を主張する。とても気持ちがよさそうで結構だと思う。本棚を一瞥してキルケゴールの「死に至る病」を110円で買った。分かっている。どうせ読みはしない。知っている。前の持ち主も読んじゃいない。哲学書っていうのはそういうもんなんだ。殆どの奴らは哲学書からカッコいい言い回しや鮮烈な語彙をかいつまんで空で唱え覚え終える。類語辞典を引く方が遥かに効率的だ。少なくとも、古本屋の100円コーナーにある書籍はそんな運命から逃れられないように仕組まれている。自由意志なんてなかった。
そいうえば、「ぼく」なんて一人称使わなくたって文章が書けることに気がついた。どうせ、自分自身についてしか語らないんだから。