暑いから外に出られない

NHKから流れる戦争の映像を眺めてアイスを食べているとき、いま夏の真っ只中にいるんだな〜と息を深く吸い込みたくなる。夏はたくさんの顔を持っている。おじいちゃん家、扇風機、野球中継、焦げた卵焼き、そうめん、オカルト番組。その中でも戦争特番は鮮烈に夏の肖像をぼくに訴えかけてくるのだ。

ぼく少年が扇風機に口をあてがって宇宙人ごっこをしている頃、大人たちがえらく真面目そうな顔をしてテレビに映るグロテスクな映像を観ていたことを思い出す。戦争がどれほどの悲惨さを含んでいるのか、イマイチ理解できなかった。スイカバーは冷たくて甘くて、障子を破ると怒られる。それがリアルでテレビの映像は全然リアルじゃない。教育の賜物で戦争イコール悪という図式は骨の髄まで染み渡っていて、でもそれはリアルな教訓としてではなく、塩素系漂白剤とトイレ洗剤を混ぜたら危険だって書かれていることをへぇそうなんだと知ってるのと同じくらいの感覚なわけ。ビビッドな映像が怖くて寝付きの悪かった夏の夜だけがリアルとして身体に残っている。​

それじゃあさ、今のぼくたちにとってなにがリアル?穏やかな幸福感と共生する息苦しさはきっと誰が悪いわけでもないでしょうに。寝ぼけ眼で日めくりカレンダーをめくるかのような毎日との付き合い方をしている。東京はもう狂ったみたいに暑い。実際のとこ、テレビだってリアルの延長線にあったし、今じゃ演繹的に戦争がリアルの延長線上にあるってわかっちゃうんだな。

細部に宿った記憶の断片は輪郭を削ぎ落としてわざと画質を落としたフィルターみたいに情緒を騙してくる。今日は昨日の再生産を飽きもせず繰り返す。何度も何度も同じ音楽を聴いては手頃な安心感を消費している。

だって、この文章ですら脈略のない話を継ぎ接ぎして連続性を持っているかのように振る舞わせているのに。ぼくたちはなにもわかっちゃいないのに選択を迫られる。漫然と毎日が横たわってる。人はいずれ死ぬ。スイカバーはうまい。

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