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振り回されて疲弊すること
友人が恋の話をしている。
彼女の恋愛対象は男。男の人を怖がっている風には見えないのに
恋が始まることを怖いと言った。からなんで「怖い」?と考えた。
よく話を聞くと、恋をすると仕事、子育て、家事、自分
色々滞るらしい。特に仕事が手につかなくなるのでそれが困ると言う。
なるほど、それは男が怖いのではなくて恋愛が始まることが怖いということかと合点がいった。
そんな風にならない?と聞かれたので、昔のことを考えたら
「ならない・・・」と思った。
振り回されたことがないのだ。もちろん恋の始まりは「その人のことばっかり考えている」時もある。できるだけ時間を作ってその人に会いに行ったこともある。
でも仕事はきっちりできるし、友達にも会う。山にも行くし
本も読むし映画も観る。その人のことを考える時間は増えるけれど
何かが手につかない・・・と悩んだことはないような気がする。
私の親友がある恋をしていたときに
「悪いけれど友達のあんたより誰よりも男に会うことを優先したい。
私に何か言いたいことがあるかもしれないけれど何も耳に入らない。それほど夢中なの。」と言っていたことがある。
私にまっすぐにそんなことを言う彼女をとっても彼女らしいと思ったけれど、そしてその恋をやめてほしいと思ったけれど無理なんだなと思った。
私に会うよりも彼に会うことを優先したい、と言い切ったくせに
彼に泣かされて電話してきたとき、私は今の夫と遠距離恋愛中で
彼の所にいたけれど、友人が泣いていることの方が大事ですぐに友人の所に行った。彼のことも好きだったけれど友人が好きだったから。
私は恋愛に対して冷めやすい。「好き」という感情が「嫌いじゃない」ぐらいのレベルになりそれが継続する。だからそこに「好き」という人が現れればまたそちらに流され・・・たこともあったかも?
恋愛至上主義の人の気持ちがあまり理解できないので
今、恋愛小説を読みまくり思うことは「好き」って感情ながっ!ということ。あと彼や彼女の優先順位高いんだね・・・ということ。
私の中で最長の「恋愛小説ブーム」が到来中で、もうだいぶ読んでいるけれど、小説の中の人々がそこまで夢中になり何も手につかず「落ちて」「溺れる」ことがなんか羨ましくもあり、理解もできない。
だから友人が言う「怖い」し「疲弊する」から恋愛に移行したくない、という気持ちも「????」という状況だ。
自分にそんな感情あったっけ?そんな恋愛あったっけ?と思いだしてみた。
「好き」だなと思った人とはお付き合いすることができた。
一人だけ成就できなかった人がいる。気持ちのすれ違いが多くて、相手も私のことが好きなんだかどうか曖昧な素振りをみせる上手い人だったので翻弄されて終わってしまった。その人と恋愛したら、もしかしたら振り回されて疲弊していたかもしれないと思う。よかったような残念なような。
だから恋愛では確実に振り回されて疲弊したことはない。
友達が「いーーなーー。自分軸の恋愛っていいなーー。失うものなにもないじゃん」と言った。自分軸か・・自分軸じゃない出来事ってなんかあったっけ?と考えたら、あった。すぐそこにあった。
それは娘のピアノ。
私は家族もこみで人前では滅多に泣かないし、落ち込むそぶりも見せないけれど娘がピアノをやめるかも?ということがあったときだけ
仕事に差し障りが出てしまった。もう「ピアノやめちゃうかもしれない・・・」しか考えられず、患者さんの話も上の空。
さすがに処置中は集中したけれど会話の段階にいった途端、頭の中は
ピアノのことでいっぱいになった。
その時長年通っていたワンコが亡くなってしまい、ワンコも飼い主さんも大好きだったので泣きそうだったのだけど
普段は絶対泣かないのにその時は泣いてしまった。それは絶対
「娘がピアノ辞めるかも、えーーーん😿」という気持ちに乗っけてしまったのだ・・・。患者さんとおいおい泣きながら「ごめんなさい」と心の中で謝った。
結局、やっぱり辞めないという結論に達し、私は通常運転に戻ったけれど
その日の出来事は本当に思い出したくないぐらい辛かった。
誰かに言って「大丈夫だよ」と言ってほしいし
学校に行ってしまった娘を連れ戻して「やっぱりやめないよね、ね、ね」と
確かめたかった。それをしなかった自分を褒めてあげたい。
と、このことを思い出して
あーーーー振り回されて疲弊するってこーゆーことか。
これはやだわーーー。と思った。理解できた。
恋愛で経験していないことがちょっと寂しくもあったけれど。