うどんを食べたそのとき
娘が最初にピティナのコンクールに出たのは小学校2年生の時。
素敵なワンピースを買ったのでそれを着て演奏した。終わったら先生がすごく驚いた顔をして「どうしてドレスじゃないの!」と言った。
ドレスじゃないとダメですか?と聞くと、大半の子供がドレスで出るので
下手に特異な衣装を着て変に目立ちたくないの。それがいい方向に働くとは限らないから。と言われた。
アンチドレス派だった私は渋々ドレスを購入。そこからドレスにはまり
必要以上に買う道へとすすんでいったのだが・・・。
予選を通過すればラッキーと思っていた当時。
二つの予選を通過。二つの本選に出ることができて一つは入賞したのだったかな。
当時ピティナのコンクールは表彰式という日も設定されていた。
本選は3日ぐらいに分かれていて級によって日程が異なる。
例えば8月1日に本番があるとして、その日に出かけて行ってピアノを弾く。そこで審査員の先生方の講評だけをもらう。点数も記載されている。
平均点は自分でだすことができるけれど、果たしてそれが入賞するのか
どうかは表彰式に行くまでわからないというシステム。
なので8月3日に表彰式があると言われると、入賞するのかどうかわからないのに、また2時間半をかけて会場に行く。わざわざ行ったのに奨励賞で、ただ賞状だけもらって帰ってきたことも数度あったな。
予選はある程度通過できるようになり、今度は全国大会に行くことが目的になった。小学校6年生の時、もしかしたら全国に届くかも?という演奏ができるようになった。娘の同級生も同じように頑張っている子がいて
二人とも同じような立ち位置にいた。
その年、2つ下の子とペアを組み連弾部門にもエントリーした。
連弾は全国行きが決定した。
まず一つ目の本選で同級生の子が全国行きを決めた。二つ目の本選で連弾でペアを組んだ年下の子も全国行を決めた。
残りはうちの娘だけ。もう一つ、別会場の本選を受けた娘は
みんなの期待を背負って行ったけれど2位に終わり全国には行けず。
結局、娘は連弾ペアの片割れとして全国に行き、他の二人が
ソロで舞台に立っているのを横眼で見ながら帰宅した。
翌年、同級生の子と連弾ペアを組んだ。連弾は全国に行けることになった。同級生の子はまたソロでも全国行きを決めた。娘はまたソロでは全国に行けず、同じ思いをして帰ってきた。
私は娘のことをひそかに「じゃないほう芸人」と呼んでいた。
(お笑いコンビで片方だけやたらと売れているコンビの、売れてない方の人の言われ方)
その翌年、予選から相当弾きこみ「今年こそは行けるのでは?」と先生に期待された。予選での点数が今までになく高かったからだ。
本人もいつになく集中してやっていたように見えた。
本選の曲を練習しているときに、音色を作ることに必死になり「弾きこむ」ということをすっかりやらなくなってしまった。
音色を作るときはゆっくり弾いて音を聞きながら、確認しながら弾くということを繰り返すので耳は使うけれどテクニック的には上達しないのだ。
本選の直前にやたらとミスタッチが多いことが気になったけれど
直前で少しくずれることも今まであったので「それかな」と思っていたら
やはり本番でもくずれ全国には行けなかった。
先生が「予選の調子が良かったので期待していました。本選近くになって
弾く量が足りてないなとは思っていました」と言った。
・・・・言ってよ・・・と心の中で思った。
娘は「確かに音色ばっかり作って弾くの忘れてた。あははは」と言った。
「また来年頑張るわ」とけろっとしていた。
私から見たら、ライバルだったり、連弾の仲間だったりする子が
ソロで結果を出しているのを見て、それでも同じ舞台に立ち続けることって
辛くないのかなあと思っていた。
辛かったら辞めてもいいんだよと心の中では思ってるし
私も娘が悲しそうな顔をしているのを見るのが辛くて
もう辞めようと何度も思った。
子供には非常に厳しい母だし、辞めるって言ったら「途中で投げ出すなんてふざけるな」と言うけれど心の中では子供を「嫌なことから遠ざけたくて」仕方がないのだ。
娘は内心はどうかわからないけれど「ピアノで何にも達していないから」と言って続けている。
ピアノの道には行かないと決めているけれど、コンクールもレッスンも連弾も楽しそうに、でも嫌そうにやったりしている。
ここまでやったら次はこれやる、とか
とりあえずの目標はここにしようとか
中3なのに志望校さえ決めていない彼女は「夏のコンクールの結果で決める」と言って、自分の中では方向性を定めている。
そんな彼女の中学校ラストイヤーの今シーズン。
来年からはどんなにあがいても「中学生の部」に出ることはできない。
予選はまあまあのでき。
連弾では、また年下の子と組み一足先に全国行を決めた。
残るはソロだ。
本選に向け音色も作ったし弾きこみもした(本人談)。これでダメだったら
あとなにやる?お母さん。とのんきだ。
連弾のペアの子は残念ながら全国には行けなかった。
そして娘は・・・・。
発表が出るまで時間があったので近くのレストランでご飯を食べることにして注文を済ませた。ら、結果が入っている紙袋を持って歩いている
子供たちがレストランの窓から見える。
あれ、結果、もう出たんじゃね?と娘は言って
「結果取りに行ってくるわ」と出て行こうとした。
私は「嫌なことは極力あとにしようよ。まずはご飯食べよ」と言ったら
「なに、嫌な事って笑」と言いながら行ってしまった。
そして走って帰ってきた。
やっと全国に行くことができた。
「本選第一位」の賞状を持って写真を撮り先生に送ったら
きゃーーーと言う声が聞こえるほどの勢いで娘に電話をかけてきてくれた。
娘はうどんを食べ始めたところだった笑
小学校2年生から始めたピティナコンクール。
コンクールは過程が大事。でも結果も大事。
ただ、人が審査することなので色んなことがある。
勉強にはなるけれどその結果で一喜一憂しないように。
それが娘の先生がよく言うことだ。
全国に行くことは目標の一つ。
ゴールではないようだ。
なんだか気ぜわしかったこの夏。
久しぶりにnoteをひらきました。
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