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「締め殺しの樹」河崎秋子

北海道根室を舞台にした女の一代記+後半はその女性が産んだ息子の話。
この前から「濃い」話を読みたかったので大満足です。

昭和10年ごろの話。根室で産まれたミサエは、父はわからず、母は産んですぐ亡くなったという境遇の中、親戚が住む新潟で育ちます。労働は辛いながらも学校に通わせてもらい美味しいお米も食べることもできます。10歳になった時に根室の祖母の家に呼び戻され、そこでは学校に通わせてもらえずひたすら労働の日々。厳しい祖母、そこに住む息子夫婦と子供たち。
もうこれだけで「ミサエ辛そう!」と思える環境できあがり。ご想像通りの環境の中、どうにか学校に通えるようになったミサエは出入りの薬問屋さんに助け出してもらい札幌で看護婦の勉強をさせてもらえます。更に保健婦となったミサエは、命の恩人である薬問屋さんの頼みを断れず根室に戻り
保健婦として生涯を送ります。
ミサエは結婚して(これまた想像通りの不幸な結婚)娘ができますが
更に酷い運命が待ち構えております・・。そして息子もできるのですが
その息子は自分が育った「あの」辛かった家に養子としてもらわれていきます。「生涯息子とは会わない」という約束をさせられ、それを守り自分は病気で死に、その息子は牛飼いの息子として成長していくのですが・・・。

まあ「不幸」のオンパレードのように見えますがミサエは根室から逃げないんですよね。そしてその息子も根室から逃げない。なんで???なんで逃げないの??とずーーっと思って読んでいました。
そして最後の最後の感想は「小山田!!!大っ嫌いだーーーーーー!!!」です。ぜひご堪能くださいませ。

北海道根室。それはもう暗くて寒くて果てしない物語の果てにあるような土地。(根室のみなさんごめんなさい)
娘のピアノコンクールを受けられる会場は全国各地にあるのですが、私が住むところから頑張って釧路が精いっぱい(212キロ)で、最近は釧路までも行くようになったのですが「根室」に行こうかと何度か脳内でイメトレしてみたものの「やっぱりむりーーーーー」となる場所です。
釧路から更に50キロほど東に行きますがその50キロが辛いし
あと根室って場所がほんとうに辛い・・・寒くて暗くてなんもない。

大学の頃「酪農実習」という授業がありました。夏休みの間20日ほど酪農家で住み込みで労働することによって単位が得られるというものです。たいていの人はこれを選択するので、一斉に同級生が北海道の各地に行き酪農業に従事します。
酪農家さんの場所はある程度自分で選べます。「男子希望」「女子希望、ハイヒール持参のこと(はてな?)」「友達と二人歓迎」などなど。
私は友達と二人で根室の酪農家にお世話になりました。20歳そこそこの若造、過酷な労働経験なし。他人の家で暮らした経験ゼロ。
そりゃあもう辛かった。生意気な私たち二人に家主たちも苦労したことでしょう。それは今だから言えること。当時は「ほんとに辛い地獄ような日々だ」と思っていました。
10日ぐらい経った時点でその付近に行っている同級生と会うことができ
近況報告をします。自分より素晴らしい環境で「毎日めちゃ楽しい」と言っている同級生を見ては悔しがり、自分より過酷な環境にいる仲間を探しては「あーーここよりまし」と喜びます(笑)。
さて、最後の搾乳を終えた私たちは文字通り脱走します。
たいてい家主とうまくいっている人たちは最終日の翌朝の搾乳を「気持ち」として行い最後の朝ご飯をごちそうになり、家主のご厚意で駅まで送ってもらいお別れするそうです。
実習後半、家主とほぼ口も聞かないぐらいまでの状況になっていた私たちはもちろん最終日終わった瞬間に家を飛び出すことを決意。
夜行バスを発見したので予約はしたものの問題はバス乗り場までどう行くか。家の人たちと「ふつーーは次の日まで手伝って行くけどね」「今日で失礼します」「あっそ」という攻防があったためバス乗り場まで送ってもらえるわけがない。ド田舎中のド田舎だからバス乗り場まで歩ける距離でもない。
というわけで、そこの家の物置にほぼ捨て置かれたスクーターに目をつけた私たちは動作確認をしておき、お暇した途端こっそりエンジンをかけて
駅に向かって走り出したのでした。まさに「盗んだバイクで走りだし」たわけです。スクーターだったけど。
ところがほぼ捨て置かれたスクーターだったので途中で止まる。
そうなったところで途方に暮れていたら、なんとなく私たちの脱走計画を知っていた家の息子が「しょうがねえな」的に現れて車で送ってくれたのでした・・・(笑)
いい息子✨とお思いでしょうが、これが「甘やかされた典型的などら息子」的な嫌な奴で(人んちの息子!!!)最後送ってくれたことは恩を感じていますがそれ以外はねえ・・・。

というわけで今となれば笑い話ですけど当時は相当きつかったです。
まあミサエとその息子の比じゃないですが。
あの時の私たちはミサエの爪の垢を煎じて飲むべきでしょう。

締め殺しの樹、というのは仏陀が悟りを開いた菩提樹の別名だとか。
いや、菩提樹にまとわりつく方の樹だったかな。
樹の名前が各章のタイトルになっております。
面白すぎてぶっ飛ばして読んでしまったので、もう一度読んで
樹の名前を噛みしめてこようと思います。

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