(チラ裏レビュー) 始皇帝 中華統一の思想/渡邉 義浩 (本 2019年)

※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。

作品名:始皇帝 中華統一の思想/渡邉 義浩 (本 2019年)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B07QFZV742

 漫画「キングダム」の解説本として、同著者の「地図でスッと頭に入る 中国戦国時代」と合わせて読んでみた。「キングダム」の漫画の画像を引用しながら、漫画の読者に寄り添った解説をしてくれているのでとても楽しく読めた。

諸子百家の思想と秦の始皇帝の関係について特に知りたかったので、この本は私の要望にうってつけだった。儒家と法家の思想がこの時代の政治に大きな影響を及ぼしていたのは想定通りだったが、本書は道家の思想の影響についても解説してくれている。儒家、法家、道家の思想のちがいがよくわかる箇所を抜き出してみた。

>(p.143:王を気遣った者を処罰する法家)儒家は親を慕う気持ちをベースにしているが、法家の思想には情も親切心も関係ない。縦割り社会のなかで自らの職務だけを行わせる。それがどんな状況、どんな気持ちから生まれた行為であれ、…

>(p.144:儒家は時代を逆戻りさせる)古来の慣わしや善悪の感覚、宗教的なつながりを体系化、正当化し、社会を大きく変革することをよしとしない、現状追認型の思想が儒家である。

>(p.146)儒家には統一という発想がない。各地でローカル権力者が無数に存在し、それぞれのしがらみのネットワークのもとで個人が生きる社会が想定されている。一方の法家が理想とするのは中華の統一である。現状でいかに無数の権力者が乱立していようとも、それらの排除を強く求めるのだ。目の前の現実から出発する儒家に対して、法家は原理原則から発想する

>(p.150:「皇帝号」の背後にある道家)法家では、君主が無限の権力を発揮できるのは、君主が「道」の体現者であるからと考える。したがって君主は絶対者であり、宇宙の主宰者だということになる。ゆえに君主によって施行される法は、無制限のものとなることが許されるのだ。

>(p.151)法家の根拠となっているのが道家だからだ。道家が目に見えない世界の構成要素から発想する思想である以上、法家が現実を無視して世界のあるべき姿を志向するのも当然のことなのである。

>(p.151)「老子」に話を戻すと、道と一体になる方法として「無為」という態度が重視されている。無為とは人間の行うさまざまな作為や実践を捨て去ることを意味している。外部から知識や論理を蓄えていくのではなく、逆に自己の内部から雑多なものを排除していくことで無為に至る、と「老子」は説く。始皇帝となった嬴政も、道と一体になろうとしていた。道が持つ万能の能力を得た求道者は、道が生命を養うため不死身になれるという。道家の思想に傾倒した始皇帝は、「不老不死」を理想とするようになった。

儒家と法家の対立軸は割とわかりやすいが、道家については理解できたかどうかちょっと自信がない。要は、西洋でいう「王権神授説」の部分を担当しているのが道家ということだろうか?

なお、私が本書を読んでいて一番戦慄したのは以下の箇所だ。

>(p.62:法家とはなにか)国を支配する君主といえど、国の末端のことはわからない。大小のローカル支配者が各地で重層的に存在し、一般庶民を支配していた。法家の「平等性」とは、このようなピラミッドをすべて潰すことを意味する。秦という国の中にあったいくつものピラミッドを、すべてローラーで押しつぶす様子を想像してほしい。平にならされた後に残るのは、君主というひとつの山だけだ。

>(p.63:個人の分断)その目的は、「氏族からの個人の解放」と、それを通じた「君主権の拡大」である。 前者でまず挙げるべきは「分異の令」だ。ひとつの家にふたり以上の男子がいる場合は、次男以下を家から追い出し、分家させなければならない。この時代、親戚同士の家族が同じ家に一緒に住み、集落では複数の一族が集まって共同生活をして、集落ごとにそれぞれ独自の秩序を形成していた。これを壊し、祖父・祖母・父・母・長男の5人を1ユニットとする単婚家族を強制的に作らせたのである。結婚したら、分家して別の家族を作らなければならない。この分異の令を破ると2倍の税が課された。 分家をするときは国が指定する土地に行かなければならない。それまでの馴染みの場所からはるか遠く離れたところで生活していくことになる。家族や宗族といった氏族制のネットワークから個人を分断することが、分異の令の目的なのだ。分かれた後は、もとの家族との関わりが極力少なくなるよう設計されている。 しかも斡旋先は、敵国から奪ったばかりの土地であることも珍しくなかった。 さらに、昔から住んでいる土地でも移住先でも、地域共同体は「什伍の制」で再編成された。これは、なんの縁もゆかりもない5家族を集め、1組として編成するものだ。構成員である5家族は、不正をする者はいないか、国家反逆を企てる者はいないか、組の中で相互に監視し合う。組内で悪事があれば、実の親であろうと告発しなければならない。 告発されなかった悪事が発覚すると、5家族全員が処罰される。事前に知っていたのに報告しなかった者は、身体を胴で真っ二つにする「腰斬」に処された。その代わり、不正や反乱を告発した者には、戦場で敵の首をとった者と同等の美が与えられたという。 それぞれの宗族が祖先神として祀っていた、各地の「櫻」や「宗廟」もことごとく破壊の対象になった。破壊された社の上には布が被され、天の加護を進った。宗教的な地域の結びつきも完全に否定したのだ。 ここまでを簡単にまとめよう。秦に住む庶民なら、「分異の令」と「什伍の制」によって決のようなことが起こる。 あなたは先祖代々、永らく住んでいた土地から追い出される。昔から、苦しいときも共に助け合って生きてきた親戚や、仲の良かった知人と会うこともできなくなってしまった。移住先の新しい土地では、見知らぬ一家の隣に住まわされ、ご近所同士で相互監視を命ぜられる。問題を起こす人がいたら自分たちの家族も処罰されるので、それを避けるには、近所の人に怪しいところがないか監視し続けなければならない。ほかの家も、自分たちに厳しい目線を向けている。しかし、もし大問題の芽を誰よりも早く見つけ、告発できれば大きな爽美が手に入るー。

(長い引用おわり)上記の箇所を読んだときは、少し背筋が寒くなるほどの恐怖を感じた。ここまでするものなのかと。国家としては確かに強くなるとしても、これでは生きている意味を見失いそうだ。本当に怖い。本書いわく、秦の滅亡後も、法家は形を変え、歴代の中国の王朝に引き継がれているという。実際に「現在、中国共産党政府は、強制的に併合したチベット、ウイグル、南モンゴルなどの周辺地域における少数民族を、その自尊心を奪うような形で支配下に置き、それに抗議する動きに対して、虐殺・弾圧を繰り返している(第183回国会(2013年)の請願より)」から、納得してしまった。中国は怖い。

日本においても、2025年1月現在、石破茂が首相となった自民党が立憲民主党などと一緒になって「選択的夫婦別姓」の法制化を進めていて、それに対して保守派が反対して、「家族とは何か」というテーマは現在非常にホットなトピックとなっている。リベラル全盛の現代先進国においては、「国家」や「家族」は個人の自由と対立する「旧来のしがらみ」のようなものとして語られる場合が多いが、私はこれとは逆の認識を持っている。つまり、確固とした「国家」や「家族」があるからこそ、「個人の自由」を尊重する余裕が社会に生まれる、と。本書で秦の始皇帝が実施した家族をバラバラにする政策を想像したとき、私は自分の認識はやはり正しかったのだという思いを強くした。もし「選択的夫婦別姓」の法制化が通ってしまったら、それだけで日本人が持つ家族観が一気に全て崩壊するということはないだろうが、日本の家族が持つ連帯感のようなものは確実に一歩後退し、同時に日本の国家としてのまとまりも一歩後退すると思う。

テレビや新聞といったオールドメディアが四六時中、リベラル思想を喧伝しているせいでリベラル思想を絶対視してしまっている日本人は多い。しかし、その人たちは同時に、日本の文化、伝統、治安の良さ、民度の高さを愛していると私は信じている。「リベラル推進運動」「個人の自由の尊重」を再現なく追求した先には、みんなの愛する日本が崩壊する未来があることに、早く多くの日本人が気づいて、日本の崩壊が食い止められることを望む。

【概要 (Amazon公式ページより)】
【秦は「ベンチャー的体質」ゆえに中華統一できた】初の中華統一を成し遂げた秦は、もともと「田舎の小国」に過ぎなかった。しかし、既得権者も少数だったため、リーダーが「抵抗勢力」を封じ込めることができた。「技術革新」にいち早く対応し、新たな社会体制を構築できたのだ。一方の六国は、フットワークが重く、テクノロジーがもたらす「新しい秩序」に背を向けたことで、秦に敗れた。【法家は歴代帝国に引き継がれた】秦が社会体制変革を行なう際に、理論的支柱となったのが「法家」の思想だった。これにより、国内の全リソースを「君主」一人が管理・収奪するシステムを作り上げる。秦の滅亡後も、法家は形を変え、歴代国家に引き継がれた。結果、人類史上、中国大陸でだけ、繰り返し統一帝国が興ることとなった。中国大陸の帝国が、広大な領土を中央から一律に支配し続けたのは、「始皇帝の遺産」を引き継いだからなのだ。そして、法家は現代中国でよみがえりつつあるように見える。【『キングダム』で通奏低音のように流れる法家】原泰久氏の漫画『キングダム』では、法家改革後の秦と、旧式の社会体制である六国の対比が見事に描かれている。本書では、『キングダム』という物語に流れる地下水脈を、25点もの名場面を引用しながら縦横に解説する。

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