走馬灯を増やす人
生き方を考えるタイミングは何度かある。
その時々の立ち位置によってどう生きたいかは変わるだろうけど、最近僕が出した結論は「目の前にある選択肢の中で面白そうな道を選ぶ」だった。
他人からどう生きたいかを聞くこともある。
よく会う友達は「走馬灯を増やす」為に生きていると言った。
最初にその話を聞いたのは2年ぐらい前に、川崎のカフェに行った時だと思う。
「なんで生きるのか考えたことあるか?」
僕は深く考えた事ないな、と答えると
「俺は死ぬ時に色んな思い出がある人生にしたいんだよな。要は、走馬灯を増やす為に生きてるんだと思うんだよ」
と言われた。
走馬灯。
死ぬ時に人生の思い出を振り返って見える光景。
「だからさ、何もしないまま死んでその時走馬灯が全然無くて、あー俺の人生薄っぺらかったなーって後悔したくないって事よ」
そう言って、マッチングアプリを見せてくれた。
川崎のカフェを出たら、マッチした女の子に会う為に2時間かけて宇都宮へ行くらしい。
「なんで宇都宮?」
「都心は競争相手が多い。少し離れた場所が狙い目だから」
計算高いアプリの使い方をしてる。
女の子の為だけによくそこまで遠出できるね、と言うと、せっかくどこかに行くなら女の子に会えるってモチベーションの方が楽しいからな、と返された。
とはいえ、女の子ありきで旅行先を決めるより観光地目当てで行く方が楽しいと思い、腑に落ちない顔をしていたら手帳の余白に図を書きながら何か解説してくれた。
縦軸が「楽しさ」で横軸が「お金」とかで、女の子がいると1人でお金を使う時よりも楽しくなる! みたいな事を言いながら曲線を描いた。
そんなにピンとこない解説だった。
マッチングアプリ旅行の事は一旦置いて、死ぬ時に何も思い出が無いっていうのは確かに寂しい。結婚とか子育てとかライフイベントを重ねるのには生命の本能とは別に、死ぬ瞬間の振り返りを濃密にする為なのかもしれない。
その後「マッチした女の子とヤレたし餃子が美味しくて楽しかった、宇都宮マジで良い」との感想を聞かせてくれた。
これは、旅行と女の子で2つ走馬灯が増える事になるのだろう。
内容はともかく、僕が見てきた中ではかなり行動力のある人間だ。
「思い出を増やす=いっぱいセックスする」はいつか怪我しそうな考えだけど、走馬灯を増やすという生き方に当てはめれば、失敗も走馬灯の一つになるから悩む必要は無い。
それから僕と友達は何かあるとこの「走馬灯理論」を軸に物事を見る事が増えた。