自分の好きな表現についてのメモ

短歌・詩って短い言葉でとても想像できるから、すごく享受できてる感じがする。少しの言葉だけで詳しく説明されたわけではないのに、その情景を受け取った側がめちゃめちゃ想像できるというか。

クラシック曲もその音をきいて月の光を感じたり、犬が走り回ってる様子が想像出来たりする。

そういう表現って立体にしていないのにめちゃめちゃ豊かだから、演劇舞台とか立体になった時に情報量がめちゃめちゃ多くなった感じがしてあわあわする。
たぶん想像力豊かな時は詩とかでもすごくグワってきちゃうけど、そういう想像力を使えない時とかにたくさん情報の詰まってる表現が必要なのかもしれない。想像力に脳を動かせない時にも楽しめる要素があるというか。
(自分の受け取り方でまだわかってない部分が多分にあると思うけど)

詩とかクラシック曲はひとつのものをじっくり楽しんでる感じがするんだけど、演劇舞台はふたつのものがあってその対比を味わうのかな…?
高低があって、高いところから低いところへの移動の差、変化を感じたりとか。光っているものとまっくろなものをならべて対比したりとか。

享受する側が受け取って、そのうえでさらに自分から味わいたいなと動きたくなる表現が好きだから、そういう表現を作りたいな。
キャラクターの対比や変化を作りながら、その役をすべて説明せずとも受け取る側がたくさん想像してしまう厚みをつくるというか。

演劇舞台をつくるなら、話題の中心になっている人はでてこないとか、描き切らない想像力の喚起は使いたいな。
そして一人芝居だったとしても何か変化とかふたつの要素をいれればそれを楽しめるんだろうな。どんなをふたつを描くかなのかな。



役者として仕事をさせていただく時に心の中がぐちゃぐちゃするのは、ハッキリできないものをハッキリさせてやらなければいけないと、せかされてる感じがするからかもしれない。
「うまく説明はできないけど、そうしてしまうんだ」というその人なりの実感とその人自身のリアルを体現することができるのが役者だと思ってるんだけど、ハッキリさせる部分を間違えると説明的な演技になってしまうんだよな。役を説明したいんじゃなくて、お客さんにぐっと心をよせてもらえるキャラクターを作りたいんだよな。どうしたらそれをよりシンプルに考えて、シンプルに構築したうえで、役の心情のぐちゃぐちゃさによりそえるか…
役作りの一部始終をカメラにとって客観的にみることができれば、役を生きてる間のぐちゃぐちゃな実感をもちながら演技してみて、周りからどうみえてどう受け取られるかを吟味できるかな。

とりあえず役作りノートを作って、カメラの前で演じてみて一つの役をじっくり立ち上げていくのをやりたいな。友達誘うぞ~~~~~

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