見出し画像

なぜ全人類は主語がデカくなってしまうのか。

「これだから男は」
「これだから女は」
「これだから日本人は」
「これだから外国人は」

昨今、デカすぎる主語による言葉足らずの言説はだいたい燃えます。とある事象を元に雑な一般化をして属性全体を評価するのは危険です。

私自身、ものを書くにあたってはわりと慎重に振る舞っているつもりです。例えば私の考えや想いはあくまで私の考えや想いであり、私の属性一般的な考えや想いではないことを表明しているつもりです。ちゃんとできているかどうかは知らんけど。

なぜ一部の人は主語を大きくして語ってしまうのでしょうか。もちろん大きな主語で断定的に語ったほうがキャッチーで注目を集めやすいというのは理解できます。いわゆる炎上商法で、これは意図的な戦略です。しかし中には明らかに意図せず火だるまになっている人がいます。意図せず主語をデカくしてしまっている人がいます。

これまでその気持ちがよくわからなかったのですが、最近私がうっかり主語をデカくしてしまいそうになった事例から、何となくそうなる理由の一端が見えてきました。

みなさんは最近話題の10時間越えのフジテレビ記者会見を見ましたか? 私はあれを見て「日本のメディアの記者ヤバいな」と思ってしまったのです。主語がデカい。

記者会見を見たと言いましたが、実は私が見たのは10時間のうち3分です。たまたまテレビをつけたときに質問をしていた記者の対応が悪すぎて見るに堪えずに3分でテレビを消しました。その後、全編通して10時間越えだったらしいと聞いた私は「全員あんな感じの質問だったから長かったんだろうなぁ」と推測してしまったわけです。10時間越えを推測するための根拠が3分はあまりにも観測範囲が狭すぎます。ほとんど見ていないのに見ていた風に語ると一部で全体を語ることになり、主語がデカくなりがちです。

あと私、メディアの記者について真面目に考えたことがないので詳しくないんですよね。後に今回は一部のフリージャーナリストが暴れていたらしいという話を聞いて「あぁ会社に属している記者とそうでない記者に分けられるのか」という気づきを得たくらいです。他にも新聞記者なのか雑誌記者なのかTV局記者なのかその他なのか右なのか左なのかいろいろな切り分け方ができそうで。そのあたりの事情に明るくそれぞれの特徴を語れる人であればヤバかった記者がどういう属性の記者なのかを細かく限定することが可能なのですが、解像度の低い私にはそれができません。このようにほとんど知らないことを知ってる風に語ろうとすると、適切な表現方法を持たず、主語がデカくなりがちです。

総じて、無意識にデカい主語で誤った一般化をしている人は、視野が狭くて情報が足りていないのに知った気になって語っちゃっているんだろうなというのが私の持論です。

じゃあ情報をしっかり集めるまでは感想のひとつも呟けないのかよと言われたら決してそんなことはなく。先の記者会見の例であれば「私がたまたまテレビをつけたときに質疑していた記者ヤバいな」と事実ベースで語ればよいのです。うっすい根拠で「日本のメディアの記者」と拡大してしまうからおかしなことになるのです。

或いは「私がたまたまテレビをつけたときに質疑していた記者から日本のメディアの記者に一般化しても成立するのではないか」と断定することなく仮説を立てるだけであれば問題なく許容されることでしょう。加えて、会見の他のシーンを見たりメディアの記者について調べたりして検証できれば、主語がデカくない適切な表現を見つけられるかもしれません。

言及しようと思った時点でいくらか興味はあるわけなので、主語がデカくなりそうになったらそれは学びの機会と捉えることもできます。燃えるのが怖い人は無知を晒して火だるまになる前に、ひと呼吸おいて自分で調べてみる習慣をつけたいですね。

余談
燃えて注目を集めると罵詈雑言の中に詳しい人による正しい反論も混ざっていることもあるのでそこから深い知識を得るという手段もなくはないのですが、火だるまストロングスタイルは私には無理。私の心がもたん。

いいなと思ったら応援しよう!

春乃はじめ
頂いたサポートは、美味しいものを経て、私の血となり肉となり次の作品となる。