集団的無意識の自分がいるってばよ
今日は集団的無意識のちょっとした小話、
みんなが無意識下でつながっていて、
それぞれの着想や発想は神様のメモ帳なようなもので、
不思議な縁でまるくつながってるというイメージ。
それは僕は幼少期から持っていたイメージだった、
小学一年生より小さい時に予知夢のようなものをよく見ていて、
夢の話を人にすることもあったが、それが特に際立ったのは、
ビービー弾の玉を集めることが子供心に流行っていた時に、
それが一杯ある公園のことを夢見たことだった、
その夢の話と一緒にとりあえずそこらの仲間が集って、
名前も知らない仲なのに自然とその場所があるっていう、
公園までみんなで予知夢の通りに行ってみたりしていた。
そう、僕は妖精的立ち位置を欲している変な子だった。
集団的無意識の強い暴露を受けたのは、2016年から2017年にかけてだ、
特に僕は自殺未遂からの回復期に充てていた期間でもあるので、
自分が触れるすべてのものが自分をモチーフにしたもののように、
思えてならなかった、女王陛下の補給線という漫画を雑誌でみて、
単行本3巻揃えた時も、それがまるで自分のストーリーのように、
感じて、馴染んでしまったことがあった。
何故かは分からない、だが、シーンごとに、
巨乳に挟まれてる貧乳の女王陛下ことヒロインの図は、
自分が本物川さんと青識亜論さんでやったことがあるな、とか、
この全身ズタボロで最強の主人公らしき軍人さんは、
俺の事ではないか? とか誇大妄想にも似た飛び火現象が起きてた、
そう、全てのイメージの根幹は繋がってる、
理想化された何かを描こうとしたとき、人は自然と、
自分が無意識下で求めた構図やイメージを踏襲しており、
オリジナルなものだと思ってるものも、かなり多くの人が、
発想して重ねてきたものなのだ。
で、僕は、とにかく熱量を込めて作られた作品は、
すべて、制作の現場から無意識のエネルギーが溢れていて、
全ての人がその無意識の力の暴露を受けて、
ある人は作品を評価し、ある人は作品に無意識に影響され、
ある人は作品に影響を与える力場を発生させている。
つまり僕の微力な絵を描くという行為も馬鹿にした、
ものではなくって、全ての人が満足する形で、
イメージを継承しているし、またイメージを植え付けている。
皆が無意識で丸く繋がってるということは、
僕の考えたストーリーの全部は無意識に回収されて、
集団がそれを無意識に咀嚼し吸収して、
エッセンスを発露させているってことだ。
何にしても、僕の書いてきたことは無駄ではなかった、
だれかがパクリや真似事やままごとと言ったとしても、
僕には分かるのだ、僕が描いたから世の中が存在しているって、
そう、クリエイティブなことをしてる限り、世の中を支配してる、
絶対の法則は自分側にあるってそう思えるのだ。
だから創作はやめられない。
おしまい
いただけるなら、どこまでもおともしますとも!