中野ブロードウェイ批判〜『中野ブロードウェイ物語』を読んで〜
近年の中野ブロードウェイの酷い有様を見て、これを批判する記事を書こうと思った。
記事の作成にあたって『中野ブロードウェイ物語』を読んだ。せっかくなのでその内容も踏まえたい。
中野ブロードウェイの歴史
中野ブロードウェイとは
「商業&住宅施設」とあるように中野ブロードウェイの地下1階から地上4階までは商業施設が入居しており、地上5階から10階までは住宅として利用されている。
現在でこそ商業フロアの各階に脈絡なくさまざまな店が乱立しているが、オープン当初は各フロアごとにコンセプトが決められていた。
1階はメインストリート、そこから直通のエレベーターで繋がる3階、飲食中心の2階、医療・倉庫フロアの4階という具合である。
今でも建設当初の区画の痕跡を見ることができる。2階には寿司屋や中華料理屋があり、4階には歯科医院、内科医院、薬局がある。
築56年が経った今でも中野ブロードウェイの1LDK+Sの部屋が4380万円で取引されている。
中野駅から近いからというのもあるだろうが、「中野ブロードウェイ」の魅力がこの建物の価格を高めているのではないか。
一方で、築年数が古いこともあり、ライフラインにガタが来ているようである。『中野ブロードウェイ物語』では正月早々、著者の住む部屋の上を通る排水管から盛大な水漏れが起きる描写がある。
このような状況から、中野ブロードウェイではその全面的な改修が計画されているが、各フロアが区分所有されているため、意見集約が難しく、計画は難航している。
中野ブロードウェイの歴史
中野ブロードウェイの歴史は地下1階から地上4階までの「商業エリア」を中心に語られることが多い。そのため、ここではその商業史から中野ブロードウェイの姿を描出する。
中野ブロードウェイの歴史を整理してみると以下の通りである。
①ハイソ期(1960-1970年代)
中野ブロードウェイがオープンした当初は高級ブティックが立ち並ぶセレブな商業施設だった。
当時、中野の周りには大規模なショッピングモールがなかったため、かなりの賑わいだったそうだ。
オープン前に仲見世通り(現在のふれあいロード)でカバン屋を営んでいた青木良造さんは決死の思いで700万円を工面し、中野ブロードウェイに店を移した。息子の青木武さんは次のように当時を振り返る。
このように、中野ブロードウェイがオープンした当初は活気にあふれた施設だったのである。
②閑散期(1980年代)
1970年代後半になると中野から近い新宿や吉祥寺、立川にショッピングモールができていった。
近隣に中野ブロードウェイと似たような施設が出来たことによって、ブロードウェイは段々と魅力を失っていく。
魅力の低下に伴って、施設内部では空き店舗が目立つようになる。
現在中野ブロードウェイで小売専門店「AOKI」を営む青木武さんは当時の状況を次のように語る。
このように、1980年代には近隣にショッピングセンターが出来たことによって、ブロードウェイの魅力は低下していくことになる。
一方で、この出来事が中野ブロードウェイの「オタク化」の地盤を形成することになる。
③オタク期(1990-2010年代)
中野ブロードウェイのサブカル化の中心となったのはいうまでもなく、「まんだらけ」だろう。
まんだらけは、1980年に中野ブロードウェイに出店した漫画専門古書店であり、現在では中野ブロードウェイ内に20店舗近くの店を持っており、中野の街のシンボルとなっている。
では、なぜまんだらけはここまで中野ブロードウェイの中で勢力を拡大することができたのか。
さらには、なぜ中野ブロードウェイ全体でサブカル化が進んだのか。 塚田(2015)は次のように分析している。
このように、中野ブロードウェイがサブカル化した理由には(1)社会・経済的条件(2)空間的条件(3)社会的ネットワークの3つの要因があるという。
それぞれについて論文を基に解説する。
(1)社会・経済的条件
前述の通り、1980年代に中野ブロードウェイは周辺地域にショッピングモールが出来たことによって「陳腐化・凋落」した。
それによって、施設内には空きテナントが増加し、安い家賃で店を出すことができるようになった。
このような背景から中野ブロードウェイに「空隙」が生じ、まんだらけやその他のサブカルショップが施設内に入り込むことができたのである。
(2)空間的条件
中野ブロードウェイは分譲の店舗として売り出されたが、時が経つにつれて転売が繰り返され、そのスペースが分割されてきた。
そのおかげで権利関係が複雑になり、店舗の規模が中・小規模に抑えられ、多くの個性的な店が互いに競争しながら、空間を活性化させていったのである。
(3)社会的ネットワーク
これはマニア-オタクネットワークを指す。まんだらけはオープン当初から、オタクの溜まり場だった。ここを中心にサブカルネットワークが構築・展開されてきたのである。
このように、1980年代以降の中野ブロードウェイにはサブカルチャーを呼び込み、定住させる構造があったのである。
④画一期(2020年代)
現在の中野ブロードウェイはマニアックな店が段々と姿を消し、空いたテナントに高級時計店やガチャガチャ店が相次いで入居している。
姿を消した原因には新型コロナウイルスの影響がある。『中野ブロードウェイ物語』には次のようなコメントがある。
コロナ禍では、客足が落ち、閉店する店が相次いだ。中野ブロードウェイも例外ではなかった。
そこに、入居してきたのが上記のジャンルの店である。彼らの中には、販売目的ではなく、買い取りや通販向けのシンボルとしてそのスペースを利用する者もいる。
このような理由で、近年のブロードウェイには高級時計店が立ち並び、「画一化」されつつある。
最近の中野ブロードウェイについては色々言いたいことがあるので、詳しくは後述する。
私にとっての中野ブロードウェイ
中野ブロードウェイは小中学生の私にとっては「夢のある場所」だった。
一方で、高校生・大学生の私にとっては「買い物をする場所」だった。
小学生のとき、自発的に中野ブロードウェイを訪れるということはあまり無かったように思う。
一方で、友達に連れていってもらって今は亡きおもちゃ屋「ポニー」にはよく行っていた。
当時は、遊戯王やデュエルマスターズなどのTCGが周りで流行っていたので、150円を握りしめて、たった1パックを買うために訪れていた。よくわからないけど、レアカードが出たら他のカードとの相性を考えずにとりあえずデッキに組み込んだ。
150円を持っていないときも友達について行ってショーケースに並んでいるカードパックや店内に並んでいるおもちゃ、DSカセットに心躍らせた。
このように、小中学生の私にとって、中野ブロードウェイは楽しいものがいろいろ売られている「夢のある場所」だったのである。
高校生・大学生になると、ある程度趣味嗜好が固まってくる。私はその頃には漫画やアニメにハマっていた。
そんな私を受容してくれたのは「まんだらけ」だった。まんだらけは漫画の他にも、ホビーやゲーム、アニメグッズなどを扱っている。
週末になると、まんだらけの本館(漫画の売っているところ)に赴き、大して変わり映えのしない棚を周遊して気に入ったものがあれば、何冊か買って店を出る。これが私のルーティーンだ。
また、大学生になると、4階にある店に手を出すようになる。個人的なイメージだが、中野ブロードウェイの地下1階や1階、3階部分は大衆向けのエリアで、2階と4階はマニア向けの店が揃っているという印象がある。
4階の店で特にお気に入りなのは、「まんだらけ 海馬」である。ここでは、一般書の他に、戦前・戦後の雑誌や精神世界に関する本などかなりマイナーな本を扱っている。こういった本をコレクションするのが私の趣味でもある。
このように、どのような興味に対しても応じてくれるのが、中野ブロードウェイなのである。
中野ブロードウェイには、どのようなものをも受容してくれそうなカオスがある。この建物こそが中野の「多様性」の象徴であると私は信じている。
中野ブロードウェイ批判
現在の中野ブロードウェイは以前ほどサブカルショップが目立つ商店街ではなくなっている。
前述したように、今では高級時計店やガチャガチャ店が幅を利かせている。これらの店は都心であれば、どこで開店しても繁盛できるだろう。どこでも人が集まるということは、中野で店を開く必然性がないということだ。
このような店が増えることになれば、中野ブロードウェイは画一化されてしまい、そのカオスさ・多様性は失われてしまう。中野ブロードウェイは高級時計店やガチャガチャ店にとって単なる「容れ物」に堕落してしまうのである。
つまり、これらの店は都市を箱物化「させる」店なのである。
都市学者ルイス・マンフォードの言葉に「文化が都市を形作る」というものがある。すなわち、文化があってこそ都市は存在するのであり、文化のない都市は都市とは言えず、単なる箱に過ぎないのである。
このまま中野ブロードウェイが高級時計店やガチャガチャ店など画一化された店にまみれてしまえば、1980年代に空きテナントが施設内に増えたように、池袋や秋葉原との「サブカル競争」に負けてしまい、再び「陳腐化・凋落」していくことは間違いないだろう。
そうなれば、中野の多様性の象徴たる中野ブロードウェイは崩れ去り、多様な価値観を受け入れてきた土壌が中野から消えかねない。
これは中野区民として看過することは出来ない事態である。
確かに、中野ブロードウェイの歴史を鑑みれば、「陳腐化・凋落」して一時的に空きテナントが増えたとしても、長期的に見ればまた別のジャンルの店が入ってきて盛り上がることになるかもしれない。
しかし、私は中野ブロードウェイに「もう一度」はないと考えている。なぜなら、仮に空きテナントが増えても、そこにはサブカルショップが再び店を構えることはなく、高級ブランドショップが入ることになると考えているからだ。
高級時計店が乱立したことによって、中野ブロードウェイの家賃は上昇している。ブロードウェイの老舗時計店「ジャックロード」の店主は次のように話す。
中野は新宿からのアクセスが良い。新宿には歌舞伎町を始めとして外国人の集まるスポットがたくさんあり、外国人が多く訪れる。
商店街のような密度で店舗が立ち並び、かつ天候を気にせず観光や買い物ができるというのは中野ブロードウェイの強みである。
この立地や構造を利用して外国人向けの高級時計店を中野ブロードウェイに出店することは、経営面から考えたときに当然のことだ。
家賃が上がれば、マニアックな店はたちまち経営が立ち行かなくなる。文化よりも経済合理性が優先されるようになる。そうなれば、外国人や富裕層向けの利益率の高い高級時計店や、人件費のかからないガチャガチャ店が乱立することになりかねない。
この家賃上昇スパイラルが止まらなければ、中野ブロードウェイに「もう一度」はない。サブカルの入る余地がなくなってしまうからである。そして、今のところそのスパイラルが止まる気配は見えない。
さらには、中野ブロードウェイのオタク期を支えてきた「まんだらけ」が退去するという話もある。
中野ブロードウェイは築55年を超える古い建物である。そのため、全面改修が必須であるが、中野ブロードウェイの土地は細かく分割して所有されており、その全員からのコンセンサスがなかなか得られず、難航している。
中野ブロードウェイは水漏れが酷い。魅力的な施設であっても、商品に影響の出るレベルであれば、退去もやむを得ないだろう。
中野ブロードウェイからまんだらけが消えた場合、「サブカルの聖地」としての中野も消えることになる。現在の中野ブロードウェイには前述の通り、小規模資本が出店できる環境ではなくなっている。まんだらけは大規模資本であるから、その経営を維持することができている。すなわち、まんだらけが消えれば、それ以外に中野ブロードウェイに出店するサブカルショップは消えるということだ。これは間違いなく現在の中野の終焉を意味する。
このように、現在の中野ブロードウェイは高級時計店やカプセルトイショップの進出により、「画一化」されつつある。これにより、中野のサブカルが破壊されつつある。もう少し大袈裟に言えば、中野の多様性の基盤が失われつつあるのである。
この危機感を記事を読んでいる方と共有したいと思い、この記事を書いた。この記事を読んでいただいた上で、もう一度中野ブロードウェイを歩いてみて欲しい。景色が違って見えるはずである。
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