いよいよ来週は退院だ つぎの日曜は1/2だけど めでたいときに レポートを書きたくないし 退院したら別の生活に慣れるのに 忙しくて精一杯だろうから 今日で最後にします 応援のコメント有り難うございました いくら励みになったか知れません 人生 まったく思わぬときに まったくすべてが変わってしまうことを みなさんにもお知らせしたかった 私はいつまででも元気で一生働いて死ぬつもりでいた 生きてるのに働けない体になるなんて 思いもしないことだった いままだそのショックの只中にいます
https://youtu.be/6hsXwX5KMwM いとこが よかったら見てみませんかと 薦めてくれたので見ました 強い人だ 麻痺していても何年もかかって治るという実例 右腕も治るかもしれない しかし並大抵の努力ではないんだな あと三週間で退院 初めは あんなにすぐ退院を望んでいたのに いまは退院後の現実が浮かんで 恐ろしい 右手にはなんと書いてある? Yes,I can do it and I will do it! か? I am over. か? 二つが交互
半年まで入院できるが 鬱が酷くて 来月退院することにした 1月6日だ 入院なら一日三時間のリハビリを 受けられるが 私はもうそれが必要なほど 回復がないということで 通院に切り替えた 鬱と半身不随の生活が始まる 生きていることの素晴らしさを 見つけなければいけない 2021.12.12記
何も進歩がなく何も伝えることがない。。。 時間だけはあるので色々考える この先 もう右手のない生活なんだ 自分の人生はここまでだ いろいろやりたいことをやった 楽しいことがたくさんあった けれど もうそれ以上のことはできそうにない 彼女は「楽しいことがたっくさんある」と言ってくれるけど この手で何ができるのか 働くこともできないかもしれない 私の人生はここまで 定年を迎えた人はそんな気持ちじゃないだろうか それに 私には蓄えもない 来年一月に退院らしいが それからのことが絵に
ついに鬱が始まった 鬱病にはなったことがある 頑張って疲れたのだから 頑張れと言ってはいけない 責任のある仕事をさせてはいけない ただひたすら休む 社会復帰できるのだろうか と不安が鬱を増加する 退院の時期が来年の一月に決まりそうだ 補助認定がついて 日常の起居はできる 帰っても この右手で 何ができるのだろうか 終活整理始めるか などと頭をよぎる そこへ彼女の声 「帰ってきたら 楽しいことがたくさん待ってるの」 「未来はあっかるいんだから」 「一緒に頑張るんだから」
7年前の今日はこんなことしてた もう二度と。。。 2021.11.21記
人間て 感情の生き物なんだなと思う 毎日 喜びを感じて生きている 絶望の中でも喜びを見つけて生きている 私の喜びは今なんだろう 全然治る気配のない右手 お箸も車の運転も飛行機の操縦も 字を書くことも楽器の演奏ももう右手ではできそうにない 毎日代わり映えのしない病室で目を覚ます 最後は自分の家で過ごしたいと言う患者の気持ちがよく分かる こんな自分の喜びは 一体なんだろう それは愛する人の幸せ 子どもでも伴侶でも 幸せになってくれること それだけが不動の私の喜びだ 絶望の中
人生は楽しむためにある。 それは東洋的な考えかも知れない。 (キリスト教は違うし) 凹んでいたらもったいない。 楽しいことを探そう! 2021.11.7記
今週は特記すべきことがありました。 右手で髭剃りが突然できるようになった。 お箸もいけるかも知れない。(今は全然できない) みんなの応援が後押ししてくれました。 歩くのも問題なくなった。 左手も十分使える。 喋るのは治らない。 逆に 回復の見込みが強くなったから 一月まで入院を伸ばしたらどうかと言われた。 彼女もそうしろと言う。 うーん 辛い。 2021.10.31記
脳出血して11週目が終わる。 最初の一ヶ月半 つまり6週目が終わるまでは 脳の機能が戻って 毎朝目が覚めるたびに 回復があった 指が動くようになったり 歩けるようになったり 暗算ができるようになったり キーボードの配列がよみがえったり… 毎朝目が覚めるのが楽しかった しかし 7週目から そんなことは無くなる 脳の回復は終わったからだ 出血も引いたことがMRIで確認できる すると 毎朝が憂鬱だ 何も進歩していない 右手の握力は10kgのまま 物は落とすし 思うように動きも
今日は朝から憂鬱な曇りだ ドイツの天気を思い出す 今週は三度目のMRIを撮った 医者は画像は見せてくれず「パーキンソン病の原因の部位とスレスレのところで細胞の破壊が止まっていた」 とだけ説明してくれた 恐ろしい写真を見せて 恐怖を煽らずに ラッキーだったことを 伝えて お仕舞いにしようという 意図が見えて 余計に恐ろしくなった 天気も鬱を後押しする まわりは 80代と思われる老人ばかり 奥さんの名前を言えない人と同室だ 気が滅入る 小さい子どもの姿を二ヶ月まったく見ていな
リハビリは理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の三人が一日に 合計180分の施術をする。 日本語だと何をする人なのか分からないが 英語では それぞれ physical therapist 略してPT occupational therapist 略してOT Speech-Language-Hearing Therapist 略して ST だそうだ。みんな若くて 私の担当は男も女も20代 毎日顔を合わせて 三ヶ月も付き合うのだから いろんな事を お互い 教わる 私が アップルウ
English continues below 今週は目立った進歩が見られなかった 右手は麻痺 言語がもつれる 強い疲労感 右手はもうこのまま回復しないようだ 報告することがないので Jeffの 美しい俳句を作ってみたら という宿題を やってみた (短歌だけど) ナイチンゲール(小夜啼鳥) 声が聞こえる 窓のそと 私の治癒を 祈っておくれ ナイチンゲールといえば 思い出があるので それを書こうと思う むかし、私は航空自衛隊の幹部兼操縦士として沖縄に勤務していました。
一ヶ月と三週間目だ まだ頭の中の出血が引いてない所為だと思うが 一日中欠伸が出てボーッとしていて 右手が不自由 言葉の呂律がおかしい 脳卒中には ① 脳梗塞 ② 脳出血 ③ くも膜下出血 があって 日本人の死因の第四位 発症後 約50%が死亡または介護が必要になる 生き延びても 麻痺や 認知症などの 重大な後遺症を残す 麻痺は自分が不自由なだけだが 認知症になったら 周りに迷惑がかかって 普通には生きられない どうしよう と 気を揉んでいたが 認知症も 失語症もないらしい
一ヶ月と一週間と3日が過ぎた。 そもそも 何故脳出血になったか みんな恐怖を感じてるだろう それは 血圧が高かったから 10代の頃から高かった 航空身体検査の時は 顔をこすって下げた 医者にも降圧剤を 何度も勧められたが 次の理由で 続けなかった ① 飲んでも150以下に下がらない ② たまに110とかに下がるとフラフラして具合が悪くなり 自分には150くらいが合ってる と思った ③ そもそも 背も高いんだから 人より血圧が必要なんじゃないか キリンだって 高いそうだし ④
倒れてから3週間と2日目、朝起きるとキーボードの記憶が突然戻った。直ってみると 不思議な能力だ つぎの文字のキーに すぐに指が行くっていうのは実に不思議 しかし時々 日によって また忘れる 右手は 朝目覚めるたびに 指の稼働範囲が増えるが 親指だけびくともしない 物をつかめない 触ると右手が感じるが 動いてくれない 一ヶ月から一月半に動かなければ たいていずっと 動かない と宣言された 9月9日で一ヶ月 突然親指が5mm ほど動いた 物を持てるようになるかも知れない 歯