オオカミ村其の二十八
「リンの話」
離れ離れのネズミの穴に入り、別の世界に現れた子オオカミたちは、それぞれ旅をしています。
リンは、甲板に出て空を見上げました。風が少し吹いて、桃色と青緑、灰褐色の薄い重ね衣のすそがひらひらとしていました。
「また舟に乗ることになったけれど、今度はどこへいくのかしら」と、リンは、 足元に寝そべっている大きな黒猫に話しかけました。「あのお家が懐かしいわ、ジャン」。
ジャンとよばれた黒猫は、まぶたをぴくっと動かして、起きました。大きなあくびを一つ、のどの奥まで 見えるほど大きな口を開けました。「そりゃ懐かしいよ。俺が住んでいたところなんだから」。「ぴいぴい泣いているお前を連れて帰って、最初は奥様や旦那様に見つからないか、冷やし肝だったんだからさ」。と言う間もなく、目の前を通り過ぎようとしたねずみを、素早く「一丁上がり」と、熊のような爪でつかまえました。
「 ガシュ、ねずみを離してあげてちょうだい。その子たちがいなかったらジャンにも会えなかったし、こうやって舟に乗る事もなかったわ」。
「ふん、リンの都合はわかるけどさ、これが猫族のしごとだからね」。
「そもそも、蒼鈴って人前じゃ呼んでやってるけど、元のお前を知っているやつがいたら、びっくりするぜ」
「ガシュ、元の私も今の私も一緒よ。はやく陸に上がって走り回りたいわ、ガシュもでしょ」
「俺は寝てるのが 、いっちばんさ。お前さんは本当に足が速いし、岩山には登るし、おてんばだよ。」「リンはオオカミだもの、それくらい当たり前よ」と、薄衣の中で足をばたばたさせました。
リンは、ねずみの助けで、穴の中をひたすら走り続けたことを、思い出しました。お腹がすいた時には、小さな虫を土ごとほおばって食べました。ふらふらになって、今までの記憶が薄らいだ頃に、突然の光で目がくらみ、穴の中から ポーンと飛び出したのです。ねずみは「西の山へ行くんだよ。これを持って行くといい」。といって、小さな石をリンに渡しました。白い乳のような柔らかい色で、見たこともない建物のかたちをしていました。「ねずみ族の細工はそうめったに手に入らないよ」。「ありがとう、これを持って西の山へ行けばいいのね」。「はやく行くんだ、リン。ねずみ族はいつもお前のそばにいるよ」。リンは、お礼を言って、穴の中へ帰って行くねずみを見送ったのでした。
「何を物思いにふけってるんだい」と、ジャンの声にリンは、振り返りました。ジャンはリンが「思い出し」をしている時の悲しい顔を見るのが、苦手だったのです。「さ、お嬢様。前の船旅の時のことをお聞かせ下さいませ、旅は長くてたいくつじゃ」。
「そうね、前はジャンがいなくてほんとにおっかなびっくり。でも、寄宿舎にいくみんなと一緒だったから、船酔いもみんな一緒よ。海に向かって一列にならんで、いっせいにはいちゃうの」。「もっとお嬢様らしい話にしてくれよ、吐くのは毛玉だけでけっこう、けっこう」。「ふふ、そろそろ夕食の時間みたいね、ガシュ。降りましょう」少女と黒猫は甲板を降りて船室へ戻りました。
夕食は、小さな小魚の薫製と野菜の酢漬けに、ビスケットでした。大人たちは、お酒を飲んでいますが、リンはクズリの実のシロップ水を飲みました。ガシュは、薫製をあっという間に平らげて、まだなにか欲しそうです。 「肉が食いたいよ」。「私だってそうよ、毎日薫製ばかりだから、生のお肉が食べたくなってくるわ」「おれは、ねずみ 以外のやつを探してくるさ」とジャンは、食堂から出て行きました。
「ふう」と一息はいて、リンはガシュの後ろ姿を見送りました。ガシュのふさふさした長い毛は、いつも枕になってくれるのでした。「今日の星はどうなのかしら」と、蒼鈴は再び甲板にあがりました。真っ暗ななかで、空は数えきれないほどの星で輝いていました。「あの銀色の星が、ナルミ兄さま、その右の緑の星がマリ姉さま、ハンニャ姉さまはその下の金色の星。レイチはその左の黄色の星、ソウは離れているけどあの青い星」見上げているリンの目から、涙が床に落ちました。丸い水滴にうつったのは、オオカミの姿でした。
オオカミの姿になったリンは、首にかけた袋から小さな石を取り出しました。耳にあてると、かすかに聞こえてきます。別れた兄弟姉妹の話し声でした。ザーザーシャーと途切れた音が入り、何を話しているのかは、わかりません。「みんな、どこかにいるんだわ、でも私が舟に乗っていることは、知らないでしょうね」と、石を袋にもどしました。
黒い波に、ふわふわと光る透明な生き物がその様子を見ていました。リンは足から人の姿に戻って行きました。「リン、見つかったらだめだろう!」と、ジャンが声を荒げて後ろにいました。「ごめんなさい、今日は特別な日だから。わたしが、ジャンの国に穴から出た日だから」。「なぜ、それがわかるんだい」と、ジャンはききました。「この小さな石が教えてくれるのよ、今日はみんなが『思い出す』日だってこと」
ガシュは、しかたなくリンの話を聞くことにしました。
2022年4月26日改訂 2013年9月17、18日 Facebook初出