Pictureについてのメモ2
「個展『今年の絵の仲間たち』での配布物の下書き」
私、松井智惠は1960年生まれ。多様な媒体と素材を使い、1980年代の機運と共に発表を始めた。2000年までに、国内外の展覧会に多数参加する機会を得る。その経験により、芸術の社会的位置づけが国内と国外では大きく異なることに気づき、その差異に対する批評を含むインスタレーションや、ビデオ作品を発表する。私が初期から取り上げていたテーマは、当時語られることの少なかった、私的物語と原初的な記憶という曖昧さを持つ領域が、いかに人の世界に普遍性をもたらしてきたかということである。美術史に留まることのできない私にとって、制作は、答えを発言することよりも、問いを探る行為に近い。
私は物語の原形質である寓意を基底に、2007年にビデオ、ドローイング、油彩、CDパッケージの原画を含めた複合的な展覧会「Picture」を催した。ビデオの作品と並行して、絵の作品の発表も自然と増えていった。2013年作の映像作品「ハイジ53-echo」では、イーゼルに立てかけたカンヴァス に絵を描き、最後は白く塗るところまでが大半を占める作品になっている。描く人物は、後ろ向きのままである。ビデオの最後のシーンで、描く人物が去った後には、厚い絵具が施された白いカンヴァス が残る。
画像に映ったカンヴァス は切り取られたフレームとして、記憶されるが、白いカンヴァス そのものはどのように記憶されるのか。言語化することや、絵の触覚性、身体と比べた大きさや匂いなど、視覚によるものではない。映像、もしくは写真も含めて画像の特徴と絵との関係は常に密着しているが、記憶の部分では、それらはいとも簡単に剥がれて分かれるものだ私は考える。
21世紀に入り、日常に冬虫夏草のごとく寓意が寄生してきた時代で暮らすようになると、人は記憶熱にうなされ、たった1日前の20世紀を振り返り、記録に追われるようになる。一冊の日記では追いつかなくなってしまったのだ。私も其の中に自ら飛び込んでいったと思う。デバイスの発達とともに個々人が、うちそとともう一つの外部空間と共に生活することが当たり前になり、そこでの社会が発生していた。日々大量の画像と片言の言葉での体験を浴びることによって、人間は山まで行かずして、エコーを得ることができるようになる。
写真も、映像も、絵も全て「Picture」という一言に集約し、SNSが盛んになり出した2014年頃から「ある日」ではなく、「今日の」絵を毎日描きだした。それは小さな一片の紙に施される。私が今までしてきたように、素材も技法も全く異なるもので、継続するための趣旨もない。ただ、SNSの遊び場に絵を置いて行った。振り返ると、それは寓意に寄生された日常から、それを抜き出すような作業だとも言える。
絵は内容で判断するのではなく、絵は描かれてしまうものなのだと、私は思っている。だから描くときには、ちゃんと作業中に聞こえる物音に耳を澄まさなければいけない。そして、数秒で書くものも、数週間かけて描くものも、数年かけて描くものも、全て絵の仲間である。この距離感と古い新しいという時間感覚の無効性を、感染症が始まって私は強く意識するようになった。
2017年にMEMで開いた同名の展覧会と同様、今回の展覧会も、油彩、水彩、その他の描画材料も含め、カンヴァスや紙にここ数年描かれた絵の仲間たちが、日にちや制作時間、時代から開放されて、幾層にもレイヤーがかかった、あるいはミルフィーユのようなインスタレーションとして展示される。
2021年9月9日
松井智惠
会場:MEM 会期:2021年10月9日(土)-10月31日(日)
*)元々、松井にとっての記憶は、映像化されたものがほとんどであった。それは、幼児期の記憶の仕方と似ており、記憶の画像偏重を克服するために、自ら映像作品を作ったとも言える。*)現在、物語「オオカミ村」執筆中 *)2013年から継続中の「一枚さん」は、アートブックとして発表の予定