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旅は道連れ
今週の水曜日に、久しぶりに大原美術館を訪れた。
昨年逝去された館長、高階秀爾先生。「大原美術館で高階秀爾さんへ想いを伝える日」がお誕生日の2月5日に行われるという。2014年の有隣荘での展覧会、1991年に名古屋市美術館で帰国展を行った「Seven Artists」の時の講演会、幸いにもその二つの展覧会でお話しをする機会に恵まれた。
とりわけ、有隣荘での作品制作と展示については、大原美術館で働く皆様の作家に対する細やかで暖かな助力を得て、心置きなく映像作品を作ることができた。制作環境があまりにも良く、それまでの自主制作とかけ離れていたので作品を作る時の基準が上がってしまった。マンパワーもマネーパワーも必要な映像作品の制作が止まって11年経った。
大原美術館は、「私」の思いがこもった美術館で、「公」の美術館とは全く異なる。全国にある美術館はそれぞれ異なる個性があり、どれも大切な美術館だが、「私」の美術館の成り立ちを紐解くと、現在では考えられないくらい強く芸術を求める心を持った人々存在し、社会に還元しようとしていたことがわかる。
話は飛ぶが、私が作品を発表し出した80年代は、「インスタレーション」という形式はまだ存在していなかった。ギャラリーにさまざまなオブジェを置いてハプニングやパフォーマンスを行う海外の作家たち。その多くはミクストメディアという呼び方をしていた。
インスタレーションは形式ではなく、その言葉通りの意味では、「架設の設置」となる。だから、展覧会は全て「インスタレーション」とも言える。
しかし、80年代に物語が発生する装置として、空間の意味や身体との関わりを意識することで作品発表し出したきっかけがある。
それが高階秀爾さんが著された「芸術空間の系譜」(鹿島出版社SD選書・昭和42年9月20日第1刷)だった。
以下の項目についての考察がなされている。
・原始空間の特質
・ギリシャ人の空間意識
・イタリア美術の空間意識
・ゴシック空間の象徴性
・ルネッサンスの理想都市
・新しい技術と空間的可能性
・世紀末芸術の空間意識
・キュビズムの空間意識
・抽象的空間の成立ー抒情と幾何学
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新書判に近い大きさでモノクロの図が少し入り、225Pととても読みやすい分量の中に凝縮された明確で確かな内容の一冊。
空間について、考えあぐねていた時に出会ったこの一冊のよって、その後「インスタレーション」を捉えて制作し始めることになる。
作品制作のきっかけを作っていただいたことを含めて今回伝えたく、倉敷へ向かったのだった。
岡山駅で、倉敷方面の播但線ホームで電車を待っているときに「この電車は倉敷へ行きますか?」と尋ねる声がした。「はい、行きますよ」と私が答えると「大原美術館へ行きたいんです」と、その女性は言う。「ああ、それなら私もなので」と、隣に座って少し話をする。
はっきりと明るい声で「平日休みをとっていつも美術館と博物館を見て回ってるんです。学生の時は、興味がなかったんですが、今は大好きで」。「今日は、日曜美術館で追悼特集をされていた高階先生に思いを伝える日なんですね。誰でもできるんですか?」とおっしゃるので、「大丈夫ですよ」と勝手に断言した。「図書館で高階先生の本を借りて読んでいるんです」と言う彼女を拒む美術館はないであろう。
倉敷駅から美術館までは、商店街を通って有隣荘と大原宅の裏から美術館が見えるコースで歩いた。楽しそうに「本当にもう、ドキドキワクワクです!」こんな笑顔で美術館に向かう人と出会って、私は幸せになった。
彼女は、憧れだった先生に思いを伝えて美術館の中へ入って行った。二、三泊の休日の間に、広島現代美術館にも行く予定だという。
翌日からますます寒波は厳しくなった。
それでも彼女は笑顔で美術館や博物館を訪ねているのだと思う。
作り手は常に眉間に皺。
白い紙をじっと見る休日
©️松井智惠 2025年2月8日筆