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獣医さん
今年の年末で、我が家の猫族の主治医が引退することになり、天王寺の医院も閉められることになった。とても寂しい。この先生がいなければ、今まで制作も続けてこれなかっただろう。
学校を出て作品を作り始めて暫く経った頃、その猫はやってきた。野良の小さなキジ猫。住まいの近くにあった動物病院へすぐに連れて行った。野良の子はたいて寄生虫があったり病気を持っている。
先生はまだ若く、私とほぼ同世代の感じがした。診察を受けると小さな猫は、ただ骨格が小さいだけの年老いた猫だった。先生は歯を見てから、10歳くらいでしょうと言われた。こちらは小さい猫をこれから育てようという気持ちだったので、ショックだった。この話は、「猫の話」という題でnoteに書いているので、読んでいただけると嬉しい。
獣医を始めた頃の思い出話には、決まってこの「トラチ」の話題が出る。何度も腫瘍摘出の手術をしては蘇り、5年ほど一緒に暮らすことができた。その間展覧会で家を開ける時は、医院で預かってもらったが、看護師さんにも可愛がられていたようだ。その後恋人らしき若い黒猫を連れてきてこの世を去り、その後もご縁が続いて私は猫と暮らしている。
私が猫を選ぶことはない。いつも猫が私を選んでやってきた。
先生には今まで四匹の子の寿命を支えてもらい、今の二匹も診てもらっている。息を引き取る気配がしてくると、だいたい後どれくらいで亡くなると、はっきり告げてくれる先生だった。飼い主が受け入れる準備が整うまでは、ある意味延命的な措置をとられるが、「この子はこれ以上治療をしても、治りません」と、必ず決心を促して下さった。
最初の医院から今の場所に移る時に、待合室の椅子の制作の依頼をいただいた。25年ほど前になると思う。私が提示したのは、当時にしてはとても高い値段だったと思う。しかし、花梨の板を使って、三角形の天板の椅子を六つ作った。パズルのように組み合わせると、わんちゃんや猫が直接対面しない角度になるようになっている。狭い待合室で、飼い主も病気の子たちにとっても程よい距離感を持てるように考えた。動物も人も、正面を向いて相対する時は、最低40cm離れないと、敵対関係をもたらす空間になってしまう。狭い喫茶店で対面で座っていると居心地がなんとなく悪くなってくるのと同じだ。
大阪では24時間救急で見てもらえる動物病院はその頃はなく、この先生をはじめ若い獣医師の皆さんが、交代で診療するネオベッツの活動を始められた。お正月に連れて行ったことがあるが、いつも大混雑である。普段でも、老いた犬猫は夜中に急に変調をきたすことがある。日曜、祝日、夜中に連れて行けるところがあるので、本当に助かった子もいる。
先生が関わってられたネオベッツの活動も、玉造に高度医療の機関ができている。
しかし、やはり飼い主の人と動物の両方を診療するのが、獣医さんのお仕事だ。うちの子達は固まっているが、飼い主は先生の顔を見るとホッとする。時には飼い主に指導されるし、甘い言葉で誤魔化すことはされない。それがたまたま出会った「かかりつけのお医者さん」。短い命の子もいれば長寿の子もいる。先生はまだ診療できる年齢だが、椎間板を痛めて手術ができない状態になられたことが引退される理由だった。今まで獣医師として地域の医療水準を引き上げられた休みのない35年間、海外の展覧会の時もうちの子達を預かって下さった。ありがとうございました。これからはお身体を労って、自然が豊かで動物たちが住んでいるところへ心置きなく滞在してください。
25年間椅子も頑張ってくれたかな。
本当にお疲れ様でした。
記念に渡すお世話になった子達のアルバムを制作していると、35年間の変遷がわかる。あ、この子の時はこんな作品を作っていたな、とか。
©️ 松井智惠 2024年12月28日 筆