二つの華風到来
夕食も終わってテレビをつけた。予定では、ネット経由で韓国ドラマをみようかと、ほっこりする時間帯。明日は日曜日で、心置きなく新しいシリーズを見ようと、ふつふつと沸く期待感。液晶画面に最初に映ったのは、BSのドキュメンタリーだった。清王朝最後の皇帝、溥儀とその皇后と側室(淑妃)の話がちょうど始まったところだった。
映画『ラストエンペラー』には出てこないが、溥儀は皇后婉容と淑妃文繡と同時に婚姻している。淑妃が一人というのは少ないことでむしろ珍しい。「王朝」という制度の歴史では、さほど奇異なことではないが、時代は清王朝末期。外の世界は嵐の只中、紫禁城の中で笑みを浮かべて寛ぐ17歳前後の若々しい三人の姿は、これから先の運命を予感させて忍びない。
研究者によって、今までわからなかった、歴史と溥儀個人の関係の中で変化していく二人の女性の人生が、少しづつ語られる。皇后婉容も淑妃文繡も時代の渦の中とはいえ、二人の最後に至っては、ただただかなしい。階級や貧富によるものではなく、個人の努力でどうなるものでもない、名のある存在はそんな歴史の延長上で、最後まで辿られてしまうと思うとかなしい。
哀しいまま熟睡して、目を覚ます。
翌朝は、大阪市立美術館で開催されていた『華風到来』展の最終日に気付く。4月から始まってまだ観ていなかった。関西の経済人が集めた文人書画や石像彫刻が並んでいた。比較的繊細な山水画が多く、風景の中に極々小さな船や人がちらと描かれていることに魅かれる。俗世界から離れることは能わぬ高士が、求めた「隠逸」という理想の桃源郷。現実と闘う以外の技法を持って生まれた中国の文人書画が日本に伝来して今の絵に至ることもまた、不思議な縁は途切れることがない。
お昼になると、天王寺駅から、四天王寺に向かって多くの人が歩いていた。何か行事があるのだろうか。公園のベンチではコンビニランチをかきこむお姉さん。大阪の南部は今も東洋の一部。
©松井智惠
2022年6月5日 筆