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手紙2022年9月4日

 『桃源郷通行許可証』展まで、あとひと月半になりました。

 これほど、展覧会のあり方で悩んだことはありません。知らぬ間に夏が過ぎ、夏の虫たちは、来年まで土の中へ戻ってゆきました。ただただ、暑く、私は『通行許可証』を袋の中に入れるのを忘れていました。目薬や、マスクや、タオルや水、それにスマートフォンやお財布。袋の中はいつもぎゅうぎゅうで隙間もありませんでした。
 旅は、突然やってくるものもあれば、充分な計画をしなければいけないものもあります。青蓮丸たちの旅の計画を立てようとすればするほど、今までの方角から遠ざかっていきました。

  今、2020年の2月10日にいただいたメールを読み返しています。
「『桃源郷通行許可証』という名の展覧会の重要なテーマに、『時空をこえる』というキーワードがあります。9ヶ月前にいただいたメールのお返事と、今夜いただいたメールのお返事が続けて発信されることで、『時間が圧縮される』ことを夢想します。同時に、道後温泉とギャラリーと美術館が、松井さんの作品によって連結されて『空間が重層する』ことを夢想します。」と、企画内容の最初の段階で書いてくださいました。空間が作れるのか、本当に心配が尽きないのです。

 この夏は、「時空をこえる」暑さによって「時間が圧縮され」ました。
7月から8月にかけて、何をしていたのか、全く思い出すことができないのです。手帳を見返しますと、美術館へ下見に行ったり、展覧会を見たりと、何かはしているのです。ただ、過ごした時間の塊としての形が見えないのです。もしかして、私は桃源郷に放り込まれていたのでしょうか。否、ただ天井を見つめていただけのような気がします。

 8月の終わりに奈良から家路への道を車で走っていました。生駒の山を越える頃には、西へ沈む大きな太陽は燃えるように眩しく、大阪にかけての平地はすべて金色に輝いていました。フロントグラスからの光を浴びて、西は彼方でもあり、近くもあることを思い、ここから難波津や都まで見渡すことができたのだと、はっきりと光景を心に留めました。そして、「浄土」と「桃源郷」は異なるものの、29才で還浄した中将姫が「玉藻」という名で登場する「オオカミ村」の夕暮れが浮かびました。『青蓮丸、西へ』は、少し寄り道して、ひばり山へ向かうことになるでしょう。
 どの場所にいても『通行許可証』さえあれば、「重奏する空間」が現れることがあるのだと、展覧会の道筋がようやく訪れました。

 最初にいただいてからのメールのやりとりは、206回になりました。

©松井智惠            2022年9月4日筆


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