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私は知っているか
五月の最終週は、どこかチグハグでやる気の起こらない週だった。
今日は六月一日。
空は晴れて明るく爽やかな土曜日
明るければ、明るいほど気持ちは後ろへ引っ張られていくような朝。
今年の太陽の軌道は、もう半分進んだ処に向かっている。
よく晴れた水曜日の平日の10時半ごろ、一人広い会場に座り、私はただ作品をぼーっと見ていた。
中之島美術館で開催中の「没後30年 木下佳通代展」を観に行った。
木下佳通代さんは、画廊で作品を発表しているときは、必ずいつも観にきて下さった。木下さんは毎週各画廊をくまなくご覧になっていたので、私だけではなく多くの作家の作品をご覧になっていた。その目は私にとって、怖くもあり、信頼できる貴重なものだった。
80年代の初め、すでに作家として活躍されていた木下さんは、歳上の同性の作家が少ない時代にあって、その存在自体が安心感を与えてくれた。彼女の作品の見方はスッと芯が通っていたから、作家や作品についていい加減な悪評を語ることは決してなかった。作品を観ておられる真摯な横顔と、会話をされる時の笑顔の落差がとても素敵な方だった。
ところが、展覧会の会場に入ると、そういった個人的な思い出や印象は、どこかへ消えてしまっていった。作品のみがその人の芸術活動を全て語る。今回の展覧会では、「今まで見た作品もある」という印象が全く感じられない。作家木下佳通代さんと、初めて出会った驚きに満ちていた。展覧会企画をされた学芸員の方が、思い出を持たない世代で、筋が通った研究をされた結果だったのかもしれない。
繰り返していうが、その日その会場で、私は作家木下佳通代さんと、初めて出会った。
そして、私は、木下佳通代さんを知らなかったのだと気づく。
何を持って、私はあの人を知っているというのだろうか。
何を持って、私あの作品を知っていると軽々しく話すのだろうか。
ふと、開けてはいけない蓋に手が伸びた。
私は美術を知っているのか?
否、私は美術を知らなかったことに気がついてしまった。
それ以来、心のうちに重苦しいものが現れた。
私は美術も芸術も知らないのだ。
なのに、「芸術家や美術家」を名乗ってきたではないか。
なんと重苦しい六月を迎えることになった。
最近、時間の流れがあちこちへ飛んでゆく。
作家にとって特別な展覧会は、会場の時間を最も簡単に変えてしまう。
展覧会場をまた訪れるだろう。
「知らない、知り得ない」芸術の厳しさを思い出したからか。
©︎松井智惠 2024年6月一日筆