感想:映画『ミックス。』 スポ根(≠スポーツ)がやりたい人達の物語

(製作国:日本 2017年公開)

かつて卓球でジュニアのトップクラス選手だった女性と、元プロボクサーの男性が、男女混合ダブルス=ミックスで全国大会を目指す物語。ふたりをはじめとした「フラワー卓球クラブ」の面々は、卓球を通してそれぞれの上手くいかない人生と向き合っていく。

エイプリルフールズ』『デート 〜恋とはどんなものかしら〜』など、本作の脚本・古沢良太が手がけるロマンティックコメディは、「不器用な人間が奮闘し、不器用なまま幸せを掴む」点と、「社会的に"普通"とされている存在になりたい、その規範に従った幸せが欲しい」という渇望が特徴であり、本作でもこの2点が強調される。
現代社会の生きづらさには自覚的ながら、既存の価値観からの脱却には至らず、その枠組みの中で自分らしくあるところに落ち着く。
これは、「地に足のついた選択」として現実に置き換えたときの再現性が高く、多くの属性の人に対して普遍性がある。さらに、明確な主張や革新性を持たないためにスポンサーの多くつく商業性の強い作品に適している。そういう意味ではアニメーションにおける岡田麿里に近いところがあるなと感じた。
また、彼の手がける作品の特徴として、「青春の象徴」として若者のカルチャーで支持を集めたキャリアを持つ女優に、そのパブリックイメージを転倒させるような役を当てることが挙げられる。(本作では新垣結衣と広末涼子が該当する)
このキャスティングの仕方も、上記の作品構成の特徴とリンクすると考える。

本作では「社会で"普通"になれない自分へのコンプレックス」、「気持ちだけでは変われないし、道理に外れたことは起こらないという客観的な目線」「それでもなお輝かしい"ベタ"な人生に憧れる」の3要素が交錯する。
卓球で全国を目指すという名目はあるものの、「フラワー卓球クラブ」の面々は1年間の猛特訓を経ても、基本的には地方予選の1回戦で拮抗しながら負けるという程度の実力である。
その競技の元トップクラスと、他競技で国内2位のキャリアを築いた元アスリートでなければ、競技人口が少ない部門でもプロには太刀打ちできない、というところには、本作における現実への冷静なまなざしが表れている。
庶務課の女性がミニスカートでチアリーダーの役割をさせられること、医者の家族の懇親の描写、不登校の高校生など、現実でみられる抑圧や生きづらさ、型に嵌れないことへの苦しみにも触れられている。また、いくら理不尽な目に遭ったとしても、「相手を打ち負かす」ことに囚われては解決にならないことも示される。
このように現実を把握するまなざしがありながらも、同時に、陽のあたる場所に出て輝きたい、自分を理解してくれるパートナーと運命的にめぐり会い、幸せになりたいという「ベタ」への憧れを発露するのが本作だ。
道場破りのように次々に強い相手に挑み、対戦相手のステータスが画面に表示される演出はスポ根ものの漫画を踏襲する(優馬が『行け! 稲中卓球部』のコミックスを読むシーンもある)
こうした「ベタ」な特訓やすれ違いを越え、ありのままの自分でハッピーエンドを迎える本作は、現実の抑圧を見せつつも、それを個人の意識や努力の問題に回収しており、口当たりが良い。
前述した俳優のキャスティングについても同様で、規範に則れない「残念」な女性をアイドル女優として知られた俳優が演じるのは、現実-コンプレックス-ベタの曖昧な混在を体現すると同時に、「どんなに不器用で傍目には挙動不審でも本人のキャラクターで中和される」という予防線でもあると感じる。惨めで無様な現実とベタをつなぐ媒介として、彼女たちは作用するのではないか。

これまで挙げてきたようにスポーツではなくスポ根を描く話で、そのために普遍性があるのだが、一方で引っかかる点も多かった。
本作における卓球は人生のメタファーなので、多満子の母が激しい口調で「前に出ろ」「立ち上がり続けろ」というのは主旨としては理解できるが、あのようなスパルタ特訓を少しでも肯定的に描くのは、現代でスポーツに触れた作品としては良くないと思う。メタ的に競技を捉える作品なので、なおさら批判的な目線は必要と感じた。

また、萩原の働く工事現場の描写からはホモソーシャルへの憧れや、そういった価値観の内面化が窺えたし、サブキャラクターの女性陣(特に愛莉)の描き方は既存の価値観から脱却できていないと感じる。
ステレオタイプな中国人の役を日本人に演じさせ、わざわざ「差別」という単語を登場人物に使わせたり、外国人より仕事ができないことが「みじめ」の表現になるのは非常にいただけなかったし、ドラァグクイーン(トランスジェンダー)の描き方もまずかった。
以上のように、社会生活での孤独を描くのには長けながらも、本当に社会で権利や尊厳を脅かされているマイノリティには寄り添えていないところも含めて、いわゆる「オタク」の考えるマイノリティの物語だったなと思う。

個人的に古沢良太や岡田麿里の作品は結構好きで、登場人物の姿勢に鼓舞された経験もあるのだが、進歩的な他作品が続々と登場する中で内容がアップデートされず、コマーシャリズムに都合の良い作家となっているように感じる。
生々しいようで本当に思想や主張が問われる問題は巧妙に避けるフィクションのつくり方についても、もっと考えてみたいと感じた。

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